自分の力で戦ってみな!……『グエムル 漢江の怪物』(2006年、韓国)

2006年 韓国
監督・主演=ポン・ジュノ 出演=ソン・ガンホ ペ・ドゥナ コ・アソン


この映画を「嫌いだ」という人は信用できる。
この映画を「つまんない」という人は信用したくない。


かつて、『ゴジラ』など東宝怪獣映画の巨匠だった本多猪四郎の作風を、友人の黒澤明はこのように語った。
人々が怪獣に追われて逃げまどってる場面で、必ずこっちに避難しろ、と誘導するおまわりさんが出てくる。ああいうところが、本多の善人たるところなんだよね。(記憶で書いてます)

その点で言うと、韓国製怪獣映画『グエムル』には、民衆を誘導する律儀なおまわりさんは一切出てこない。アホな映画評論家が、途中で予算がつきたから警察も軍隊も出てこないんだろう、みたいなアホな突っ込みをしていた。お前、律儀にルールを守っていれば、いざとなったら国家や政府や警察や軍隊(自衛隊)が助けにきてくれると、本気で思ってるんじゃねーだろーな? 作り手があのレビューを読んだら、冷笑を浮かべつつ、そう言うだろう。

実際、国家や政府や警察や軍隊が、一庶民のために何もしてくれない地域のほうが、地球上には、はるかに多いと思う。国家や政府や警察や軍隊を、プロパガンダではなく英雄視したがる国――すなわちアメリカと日本――では、この映画がヒットしなかったのもうなずける。

韓国に行くたびにつくづく感じるのは、「この人たちは、ルールなんてものを信じてないんだろうな」ということだ。それを象徴するのが自動車の運転の荒っぽさ。とにかく飛ばす。高速道路でバスに乗っていて、ちょっとでもちんたら走ってる車があると、無茶な路線変更で追い抜いていく。街中の狭い路地を通行人がいようがいまいが、すっとばす。通行人も心得たものだ。日本で運転していると、後ろから車が迫っているにもかかわらず、おしゃべりに夢中なおばさんとか、サラリーマンとか、女子高生とか、青年とかにイライラさせられるが(ちょっとは振り向けよ!)、彼らは、運転手が自分たちの無警戒さに苛立って、急に変な気を起こしてはねとばす、なんて思ってもいない。韓国人は逆だ。世界は危険に満ちていることを肌で知っている。おしゃべりに夢中な女子高生たちが、すっとばしてくる車を見るやいなや、しなやかな身のこなしで待避し、車が通りすぎた後は、またおしゃべりに興じている様を見た時は、素直に思った。
かっこえええ!!!!

権威や権力に頼らず、自分が今持ち合わせている、ほんの小さな力や才覚だけで生きていこうとする人間は、常にかっこいいのだ。


その意味で、この韓国らしさ全開の怪獣映画で、いちばんかっこいいのは、怪獣にさらわれる女子中学生だ。映画の最初のほう、携帯電話で「お父さん、助けて」と泣いていた彼女は、自分ひとりの力で怪獣に立ち向かう。誰も助けてくれない状況のなかで、同じように怪物にさらわれ、薄暗い下水溝に閉じこめられた一人の少年を守ろうとする。

ちょっと先走りすぎた。粗筋をもとに語っていこう。

駐韓アメリカ軍のずさんな危機管理ゆえに生み出された怪物(韓国語でグエムル)が、無辜の庶民を次々と襲う。韓国政府もアメリカ軍も、事件を隠蔽することだけに必死で、自国民を守ろうとしない。あまりに無能無策な政府に抗議するため韓国のNGOが立ち上がる。立ち上がってやることは、デモ。デモは問題を解決するためにやるわけじゃない。単に国家に抗議したぞ、という証拠を残すためだけとしか思えない。

つまり、誰も助けてくれない。実際の韓国の政府や軍隊や警察がそこまで国民に対して冷淡なのかどうかは知らないが、政府が国民の面倒を見すぎるお節介国家・日本においてさえ、誰も助けてくれない経験をした人は、実は少なくないのではないか。

そんな救いのない世界に生きているダメ人間揃いの家族が主人公だ。おじいちゃんは、ソウル市内を流れる大河であり、韓国庶民の憩いの場でもある漢江のほとりで、掘っ立て小屋のような食料店をほそぼそと営んでいる。少し知恵遅れの無職の長男が手伝っているが、親子仲は悪い。次男と末娘は、とっくに家を出ている。
ただ一人、長男の娘で、親に似ず利発な女子中学生だけが、一家の希望の星だ。
その愛すべき女子中学生が怪物にさらわれた。政府も軍隊もあてにならないまま、なんとか彼女を救おうと、ダメ家族が結束し、立ち上がる。

と書けば、家族で悪に立ち向かうハリウッドにありがちなファミリー映画を連想するだろうが、正反対だ。韓国映画界きっての鬼才ポン・ジュノは、決して怪物に立ち向かうダメ人間たちをヒロイックに描かない。ダメだったな奴が力を合わせて目的を達しました的な展開で観客を感動させようなどという親切さはかけらも持ち合わせていないのだ。

立ち上がっても、しょせんダメ人間たち。ここでこうすれば、怪物を倒せる! という場面で、ダメな部分が発揮され、怪物はまんまと逃げおおせる。その繰り返しだ。


たとえば、女子中学生の叔母。今や韓国を代表する女優である魅力的なペ・ドゥナが演じる彼女は、いつもださいジャージを着ている。すぐれたアーチェリーの選手だが、いつもここぞという時にヘマをやらかし、優勝できないでいる。
その彼女が、怪物を発見する。かわいい姪の仇! すかさず弓を構えるペ・ドゥナ。かっこいい演出、ペ・ドゥナの凛々しい表情。だが次の瞬間、彼女は怪物に突き飛ばされ、ぶざまな格好でころころ転がっていくのだ。

この映画は、怖がるべき(悲しむべき、しんみりすべき)場面と笑う場面とが、秒単位で交互に現れるため、観客を戸惑わせる。戸惑わせつつも眼を離せないのは、それがあまりにもリアルだからだ。




怪物が初めて現れる場面。逃げまどう市民たちの阿鼻叫喚が突然、女性の爪のアップになる。その爪の隙間にヘアピンがさしこまれ、ゴミをほじくる。続いて、ヘッドホンで音楽を聴きながらヘアピンで爪の手入れをする女性のバストショット。いきなり怪物が彼女にかみつき引きずっていく。音楽を聞いていたため、周囲のパニックに気づかなかったという設定なのだが、あまりにも呑気な女性の爪の手入れと、無惨に引きずられていく彼女の描写の落差が大きすぎて、笑うべきなのか、怖がるべきなのか、よく分からない。よく分からないが、実際に怪物がこの世に現れたら、こんなふうに間抜けに殺されてしまう人がいてもおかしくないと思わせるだけの説得力がある。















米軍や韓国政府は、怪物を見た人を、細菌に感染したことにして、かたっぱしから保護し、病院に閉じこめる。『カサンドラ・クロス』に出てきそうな、防護服に身を固めた政府の手先たち。こういう時、一切彼らの表情を写さず、機械的な存在として描くのが普通だが、この映画はそんなありふれた演出はしない。防護マスクごしに見える彼らは、保身に必死な小役人だが、家に帰ればいいお父さんなんだろうなあ、という顔をしている。そう、怪物に襲われる無名の庶民と同じように。監督が、単に米軍や韓国政府を批判しようとしているのではないことは、明らかだ。ますます観客は、監督の狙いが分からなくなるのだが、実際、スターウォーズのストーム・トルーパーみたいな悪役が、この世に存在するはずがない。この映画が作られた時期、韓国政府は極端な反米プロパガンダを煽ってはいた。そういう政治的文脈でこの映画を語ろうとする浅はかな人もいるみたいだが、同時にこの映画には、勇敢に怪物に立ち向かうアメリカ兵もきちんと描いているのだ。





意図の読みにくい複雑な展開のなかで、観客の興味はただ一点に絞られる。せめて、けなげで聡明な女子中学生だけは助かってほしいと。しくじりばかりの怪獣探しに疲れ果てた家族が、貧しい家でカップラーメンで晩ご飯を食べる場面がある。いつの間にか、そこにいないはずの女子中学生が現れる。家族は、別に不思議がりもせず、彼女を抱きしめることもなく、ただ、目の前にある食べ物を、ずっと怪獣に閉じこめられていてお腹が空いているだろう彼女にわけてやる。彼女は、今時の日本の子役にありがちな、いかにも可愛い笑顔を浮かべたり、涙ぐんだりみたいな臭い表情は一切せず、もくもくと与えられた食べ物を頬張る。可愛いわが子が帰ってこないとき、親はまず、お腹は空いていないかと心配するはずだ。もちろん幻想なのだが、自然にダメ家族たちの女子中学生への思いが伝わり、涙が出そうないいシーンだ。


























果たして、観客の最後の願いは果たされるのだろうか。下水溝で泥まみれになって孤独な戦いを続けていた彼女は、神を思わせる崇高な姿で、家族の前に帰ってくる。そして、彼女の望みはちゃんとかなうのだ。



予想もしない形で。


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