もしわが子が怪物(グエムル)だったら……『母なる証明』(2008年、韓国)

2008年 韓国
監督=ポン・ジュノ 出演=キム・へジャ ウォンビン

ある場面にどきりとさせられた。
映画の発端は、一人の女子高生が殺害されることから始まる。彼女の葬式に飾られた遺影が、『グエムル 漢江の奇跡』で怪物にさらわれた女子中学生の”遺影”にそっくりなのだ。おかっぱ頭で、眼を細くして笑っている。子どもらしい無邪気さ全開。モノクロ写真というところまで同じ。一瞬、『グエムル』で女子中学生を演じていた女の子が、三年後に高校生を演じているのかと錯覚した。

彼女を殺した容疑をかけられ、漢方薬を商って細々と暮らしている老母の一人息子が逮捕される。母(役名はついていない)は、息子の無実を信じ、さまざまに手を尽くす。
「子を思う母の”無償の愛情”を通じ、善と悪、光と闇をたたえた”人間の真実”をスリリングに描き出すヒューマン・ミステリーの最高傑作」というのが、この映画の宣伝文句だ。「ヒューマン」なんて言葉を使うと、なんとなく「心温まる」と形容詞を重ねてイメージしてしまうが、『グエムル』で観客の神経を逆なでしまくったポン・ジュノ監督のこと、さらに本作では『グエムル』にあったコミカル要素が排されたため、まず観客の心が温まることはない。

この映画の主役である「母」は、徹底して生物学的存在として描かれる。「この映画のなかの母親は、まるで動物の母親のようだ。向かってくる相手に対して牙をむき、威嚇して子どもを守ろうとしている」と、「母」を演じた韓国の名女優キム・へジャは語っている。まさしく彼女は、息子を守るためなら、たとえば重要な証言を引き出すために、金で暴漢をやとって誰かを傷つけることも厭わない。それどころか、より大きな罪を犯しもする。


一方、彼女が溺愛する息子もまた、生物学的な存在だ。知恵遅れだが、子鹿のように無垢な眼をした青年。だが、思春期の青年らしく性欲は旺盛。母親に甘えているが、一方で男の子らしい反抗心も示すし、身を守るために嘘もつく。生物学的な存在のくせに、厄介な意味での「人間らしさ」も兼ね備えているのだ。

この映画では、人間の”生物学的”な嫌らしさが存分に描かれる。はっきりいって好感の持てるキャラクターは誰もいない。例外があるとすればただ一人。殺された女子高生だけだ。
彼女は早くに母をなくし、父親は別に女をつくって失踪した。ただ一人の家族である祖母は、認知症で、しかも大酒飲み。本来なら保護されるべき存在である彼女は、祖母の保護者もやらねばならない。彼女は、祖母の酒代のためにだろう、自分の身体を売るしかない。彼女は叫ぶ。「男なんて、大嫌い!」(とはいえ、”買った”男の写真を全部携帯に記録し、それを無表情に眺めている彼女の姿は、いったい何なのだろう?)

そんな彼女を殺してしまったのが、我が子だとしたら……。

グエムル』と同様、警察も、弁護士も、何の役にも立たない。「母」は、自力でがんばるしかない。自力でがんばってがんばってがんばり抜いて、その結果たどり着いた境地は、無惨でもあり、救いでもある(のかもしれない)。

嫌な事は忘れて踊ろうよ。

もちろん、踊ったところで、本当に救われるわけではないということすら、この映画は残酷に描く(しかも冒頭で!)。絶望が頂点に達した時、彼女はこう叫ぶ。

「お母さん!」

人間は誰も、母親から生まれる。



↓予告編


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