ピーター・パン誕生秘話……『ネバーランド』(2004年、イギリス・アメリカ)

2004年 イギリス・アメリ
監督=マーク・フォスター 出演=ジョニー・デップ ケイト・ウィンスレット

ジョニー・デップという俳優は、いくら控えめな演技をしても、どこか過剰な変態性が漂う。それをセクシーに感じる人もいるのだろうが、彼が演じるというだけで、設定や台詞に出てこない要素まで想像させてしまう。

本作は、いわゆる「ピーター・パン」誕生秘話。近作が不評続きでスランプに陥った劇作家ジェームズ・バリ(ジョニー・デップ)は、家庭でも妻(ラダ・ミッチェル)とのすれ違いに悩んでいる。そんな彼が、四人の子供を抱えた未亡人シルビア(ケイト・ウィンスレット)と出会い、子供たちと交流することで「ピーター・パン」を着想し、成功を得る。

まあ、骨子は↑の通り。最初は同情心と子供好きから一家とつきあい始めた主人公だが、やがてシルビアと相思相愛になっていくというのもお約束どおり。これで最後に、二人が無事に結ばれ幸せに暮らしましたとさ、というならいかにもハリウッド的なラブロマンスなのだが、何せ主演がジョニー・デップだ。相手役は、『レボリューショナリー・ロード』で不満を抱えて狂っていく新妻を演じたケイト・ウィンスレットだ。健全なラブロマンスになるはずがない。

まず、ジョニー・デップ演じる主人公。彼は幼い頃に兄を亡くし、本人曰く「その瞬間から大人になることを強いられた」ために、年をとることのない世界、すなわち「ネバーランド」を心の何処かで求めている。普段は内気でおよそ快活さを感じさせない主人公だが、シルビアの子供たちと海賊ごっこやインディアンごっこに興じている時だけは、見違えるように生き生きする。か細いぼそぼそ声も、男らしくたくましく声に変わる。

これ、どこかで聞いたことのある話だよな……と思いつつ見ていて、不意に愕然となった。

これってマイケル・ジャクソンじゃん!

亡くなった今では掌を返したように批判することが御法度っぽい雰囲気のマイケル・ジャクソンだが、生前はスキャンダルにさらされ、アーティストとして評価されることは少なかった。豪邸に遊園地(その名もネバーランド!)を建設し、子供たちを招待して遊ばせ(正確に言えば一緒に遊び)、その子供に性的行為をしたとして二度にわたって告訴された(一度目は示談金を払って和解、二度目は無罪判決)。彼は幼い頃、父親に厳しく歌やダンスを仕込まれ、ふつうの子供時代を過ごすことができなかった(大人になることを強要されたのだ)。顔の漂白整形(自身は病気と主張)は、父親と違う顔になりたかったため、子供たちと遊んだのは幸せな少年時代を取り戻したかったためというのが定説だ。
そう思うと、生っ白く表情の乏しいジョニー・デップ演じる主人公の顔は、白人以上に白くなってからのマイケルに似てなくもない。

主人公は、美しい妻と豪邸に住んでいるが、セックスレスで寝室も別々だ。一方、彼と未亡人シルビアとの関係はもっと微妙。お互いに惹かれあっているようでもあるのだが、セックスやキスはおろか、肉体的な接触すらほとんどない(夜、子供が寝静まって二人きりになってもだ!)。むしろ、妻との間に、あわや濡れ場かと期待させる肉体接触描写がある(しかし、結局何もしない)。
その落差が大きいので、ひょっとしてこいつゲイ? とすら思えてくるが、おそらくそうではあるまい。

主人公は、女をどう扱っていいか分からない子供なのだ。

では、女たちはどうか。
まず、ケイト・ウィンスレット『レボリューショナリー・ロード』の項目でも書いたけれど、この人は世界一お母さんが似合う女優だと思う。そして、お母さんに徹しきれない自分への苛立ちを表現させれば、やはり世界一だ。彼女の子供っぽさは、たとえば重い病気に冒されていることを自覚しながら、頑なに医者にかかることを拒否している点に現れている。彼女の実家は裕福で、たとえ夫を失って無収入でも、生活には困らない。だから、経済的に自立するとか、社会に関わろうとかは一切考えないし、その能力もなさそうだ。ただ、四人の子供たちと楽しくピクニックに興じられる日々が、「永遠に」続けばいいと思っている。医者に病気を告知され、たとえば入院する事態になり、今までの日々が断絶するのが怖いのだ。彼女は、今の生活が、裕福な老母(ジュリー・クリスティ@ドクトル・ジバコが素晴らしい演技を見せる)の援助でかろうじて成り立っている脆いものだということは自覚している。自覚していても、たぶん自分の力ではどうにも変えられないことが分かっているからこそ、現実から眼を背け続けるのだ。

そして、主人公の妻。彼女は、自分よりも他家の子供と遊ぶことに夢中な夫に不満を抱いている。不満をはらすため、慈善活動にでも参加しようかな、とは思うが、積極的には動かない(今の日本にも転がっていそうな話だ。結局、慈善ではなく浮気に走る所も)。まだ子供を産めそうな年齢なのに、積極的に夫に迫るわけでもない。舞踏会にデビューしたばかりで世間知らずの女の子のように幼い。

主人公は、未亡人シルビアには、子供たちとの交流を通じて、「ネバーランド」を見せてあげることはできる。だが、それは一時的な逃避でしかない。病気を治してあげることも、幸せにしてあげることもできない。妻は結局去っていく。

では、この映画は、現実から逃避したがる男女の悲喜劇なのだろうかというと、そうとも言い切れない。映画に出てくる最大の現実逃避、すなわち「芝居」の描写が素晴らしすぎるからだ。クライマックスの『ピーター・パン』初演の場面。ピーター・パンを演じる女優は、最初に役を割り振られた時は、体型も顔立ちもちょっとおばさんっぽく、自分でも「え、子供の役なの?」と戸惑っているのだが、いざ舞台が始まると、見事に「少年」になりきっている。「虚構を演じてみせること」「架空のキャラクターになること」の素晴らしさが、さほど出番のあるわけでもないピーター役の女優によって鮮やかに描かれているのだ。

原題は”Finding Neverland”。「どこにもない世界」すなわち、ファンタジーとか妄想とか呼ばれるものを心のなかに抱えて追い求めることは、単なる後ろ向きの現実逃避なのか、それとも世知辛い世界を生き抜くために備わった知恵なのか、人は現実とファンタジーの境界をどこに引くべきなのか、映画はそれを大きなテーマとして掲げつつ、一切結論じみたことを語ろうとしない。答えは観客がそれぞれ見つければいい。

*ちなみに、この映画は事実にインスパイアされた作品と冒頭に断っているが。バリとシルビアの交流や「ピーター・パン」誕生の経緯は、かなり事実と異なっているらしい。



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