『サマーウォーズ』と『グエムル 漢江の怪物』について



昨年夏に公開され、話題になった細田守監督のアニメ『サマーウォーズ』を、見に行こうとして、結局見る機会を逃した。友人と見に行った中1の息子も絶賛していたが、なぜ結局足を運べなかったかというと、尊敬する町山智浩氏が、「まあ、テレビで見れば十分ですね」とコメントしていたからかもしれない。
結局、息子がDVDをレンタルしてきて(正確に言えば、息子にせがまれた妻が、だが)一緒に見た。正直、町山さんと似たような感想を抱いた。
↓町山さんの『サマーウォーズ』評
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090905_satlab_2.mp3

もちろん、決して駄作ではない。技術水準や、語り口のテンポのよさから言えば一級品だと思う。特に、冒頭からタイトルクレジット、そして舞台となる大家族のお屋敷に行き着くまでの導入部の見事さに感嘆させられた。親戚一同そろっての宴会場面のスペクタクルにも感動させられた。だが、見続けているうちに、小さな違和感がわき起こってきた。その違和感は次第に大きくなっていき、仮想空間と田舎の旧家をテンポ良く行き来する展開の上手さにもかかわらず、最後までのめりこむことができなかった。

なぜだろう……と考えていて、ふと気づいた。「このアニメって、実は日本版グエムルじゃないの?」

グエムル 漢江の怪物』は、アメリカ軍が廃棄した毒物によって生まれたモンスターが、ソウルをパニックに陥れるというストーリーだ。そして、『サマーウォーズ』もまた、一登場人物が開発したAIを買った米軍が試験してみたところ、全世界的なパニックを引き起こす。主人公たち家族が力を合わせて事件を解決するという顛末も同じだ。
もちろん違いはたくさんある。特に『サマーウォーズ』にあって『グエムル』にない最大の要素は、「一家の柱となる偉大なる母性」だ。『サマーウォーズ』の大家族をまとめるグレートマザー、富司純子さんが声をあてている陣内栄(じんのうちさかえ)については、bakuhatugoroさんがみごとなレビューを書いていられるので、ぜひ読んでいただきたい(http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20090814#p1)。

一方の『グエムル』の家族には、こうした母親的存在がいない。母親的役割を果たさざるを得ないのは、まだ中学生の孫娘だが、彼女は映画の前半で怪物にさらわれてしまう。一方、『サマーウォーズ』のおばあちゃん陣内栄は、なぜか政界財界官界に多大な影響力を持ち、VIPたちに電話しまくることで、全国的なパニックを一時的ではあるが鎮めてしまうのだ。交通システムが破壊されて引き起こされた大渋滞も、警官たちの手旗信号であっけなく解消され、死者は一人も出ることはなかった。なんて統率のとれた国民なんだろう! 数多くの被害者を出しながら、政府は隠蔽工作にのみ必死になる『グエムル』で描かれた韓国社会とは大違いだ。まして、コネをつかいまくっても、おんぼろトラックと旧式ライフルくらいしか手に入れられなかった『グエムル』の家長は、『サマーウォーズ』のおばあちゃんとは比べものにならない(嫌韓厨と言われる方々にとって、この二つの作品の相違は、日本民族の優秀性をアピールする格好の材料になるんじゃないでしょうかね)。
さて、『グエムル』の祖父と同様、陣内栄も途中で亡くなり、柱を失った遺族が奮闘するのも、両作品に共通するところではある。だが、おばあちゃんがいなくなっても、陣内家には天才的なパソコンの使い手もいれば、自衛隊で特殊工作をやっているらしい男もいる。そもそも、問題となるAIの開発者自身が、一家のために力を貸してくれるのだ。警察や軍隊など国家機関の眼を盗みながら行動せざるを得ない『グエムル』のダメ家族たちとくらべ、なんて恵まれた戦いなんだろう!(町山さんが『サマーウォーズ』を体制的と批判したのは、そういうご都合主義すぎる部分を指しているのではないか)


細田守監督は、あるインタビューで、この作品をつくったきっかけをこう語っている。

自分自身が結婚したという体験が大きかったですね。実は、それまで結婚のイメージって「面倒くさそう」とか「契約に縛られる」というあまり良くないものだったんです。でも、先方のご家族に挨拶に行ったときに、それまで会った事もない人と次の瞬間には家族になる、ということが、とても不思議で面白かったんですね。その体験を映画にしてみようと思ったのが、制作のきっかけです。


ぼくもまた、十数年前に結婚した当時は同じ思いを抱いた。新たな家族づきあいが始まることに、胸を躍らせもした。
だが、その一方で、ぼくは、この作品に出てきたような祖母を中心に、何かというと親戚中が集まる環境に育ったので、表面的な一族の団欒の下に、さまざまな負の感情が渦巻いていることを知っている。彼らの結束が、新参者(たとえば長男の嫁)に対する「イジメ」で成り立っていたことを、当の「イジメ」にあった母からさんざん聞かされた。ぼくの父が、そんな母と親戚たちの板挟みのなかで、どれだけ耐えて妻を守ったかということも、最近知った。そんなぼくには、一族の中のはぐれ者である侘助の描かれ方にひどく不満を覚えた。事件がすべて解決した後、事件を引き起こした張本人であるはずの侘助の責任がうやむやになっていることを含めて、無視されたも同然に扱われているのは、なぜだろう。この一族の絆を保っていた要因のひとつは、侘助のような「はみだし者」に対するイジメがなかったと言い切れるだろうか。


韓国は、血のつながりを日本以上に重要視する社会だとされているらしい。それ故に、『家族の誕生』や『息もできない』のような、血のつながりがあるゆえに生まれる憎悪や、血の繋がらない者同士の連帯感を訴える映画が作られているのかもしれない。
逆に日本は、血のつながりからくる絆が薄まっているかもしれないという危機感から、家族の価値を再確認しようと訴える映画が作らているのではないだろうか。


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