美しさの概念を揺さぶる恋愛劇……『オアシス』(2002年 韓国)

2002年 韓国
監督=イ・チャンドン 出演=ソル・ギョング ムン・ソリ



映画を見る楽しみについて、かつて宮崎駿監督がこんなことを言っていた。映画館に入った時と、映画を見終わった後では、観客の意識レベルや物の見方が違っていなければならない、と。ハリウッド映画は、見る前と見た後で観客は何も変わらないのが多いんだよね、とお得意のアメリカ映画批判が続いたように記憶している。
映画は娯楽である。何も考えずにハラハラドキドキできて、最後はスカッとした気分にさせてくれるのがいい映画だという考え方もあるだろう。別に否定はしない。観ている間に流した涙の量で評価すべしという最近の風潮も、否定する気はない(ネットのレビューによくある「泣けませんでした」という表現を否定的なニュアンスで使うのは勘弁してほしいが)。
ただ、今のぼくは、見終わった後、従来持っていた価値観や物の見方考え方が揺さぶられるような映画を見たいし、そういう映画に当たる確率は、邦画やハリウッド映画には少なく、近年の韓国映画に多い。だからつい、韓国映画のレビューばかり書いてしまう。


本作は、『シークレット・サンシャイン』の監督イ・チャンドンの二作目。一見スタティックな、しかし計算し尽くされた物語展開で、じわじわと観る側を引き込んでいく手法は、共通するものがある。2002年のベネチア国際映画祭において、監督賞や国際批評家協会賞を受賞し、韓国映画の存在感を世界に知らしめたのもうなずける傑作だ。
何より、ヒロイン演じるムン・ソリが素晴らしい。『家族の誕生』では、適齢期をすぎようとする女性の焦りと、それから十数年を経てすっかり貫禄あるおばさんになった変化を見事に演じ分けていたが、この映画では、重度の脳性麻痺患者という難役。思うように身体を動かすことができず、歩くことも困難。顔は常にひきつっている。
彼女は大学在学中、ボランティアで脳性麻痺の子供たちと接した経験があった。出演を決めた後、役づくりのため、障害者の施設で何日かを過ごした。また、車椅子でレストランに入ってみて、障害者が周囲からどんな視線にさらされるかも、身をもって体験したという。
とにかく全身を不自然に歪めていなくてはならないので、撮影は一日10分が限度、演技が終わるとマッサージを受けるなどケアにつとめたが、それでも撮影終了後、骨盤が歪んでしまい入院しなければならなかったそうだ。
同じような身体障害者の恋をテーマとした『ジョゼと虎と魚たち』(2003年、犬童一心監督)で下半身麻痺の女性を好演した池脇千鶴は、なにせ上半身は健常者と変わらないし、もともと可愛らしい顔立ちなのだから、妻夫木聡演じる相手役が彼女を好きになっても、別に不自然ではないし、観ていて眼を背けたくなるような気分は味わわずにすむ。
一方、この映画のムン・ソリは、本当に眼を背けたくなるくらい、重度の脳性麻痺患者になりきっていた。最初は、彼女が出てくるだけで、不快な気分を味わったことは否めない。ところが不思議なことに、映画が進むにつれ、次第にこのヒロインから眼を離せなくなってくる。ひとつには、彼女が抱える背景が理解できてくるにつれ、ただ、獣のように呻いているだけのように見えた彼女が、一人の女性としての悲しみや喜びを抱えており、そしてムン・ソリがそういった感情を繊細に表現していることに気づかされてくるのだ。やがて、不快感は消え、同情や憐憫ではなく、一人の恋する女性としての彼女に共感を抱くようになり、心の底から応援したくなってくる。
ムン・ソリは、この役を演じることを周囲から止められたそうだ。迷う彼女にイ・チャンドン監督は「美の概念を変えよう」と説得したらしい。結果的にムン・ソリベネチア国際映画祭で新人演技賞に輝き、その苦労は報われた。


さて、ストーリー。


ソウル市内を走るバスから、一人の男が道に降り立つ。寒い季節なのに、アロハシャツ一枚。公衆電話でおしゃべりしている女子高生に、「お金ないんだ。貸してくれない?」とせがみ、怖がられる。袖口で鼻をすすり、視線は落ち着かず、意味不明の笑顔。明らかに挙動不審。
これが、主人公のジョンドゥ(ソル・ギョング)だ。
やがてジョンドゥの背景が明らかになる。彼は、ひき逃げで清掃員を死なせてしまった罪で刑務所から出てきたばかりだった。兄を訪ねてみたが引っ越した後。ようやく探し当てると、兄は勤めていた会社をやめ、修理工場を経営していた。兄も、兄嫁も、弟も、母親ですら、久しぶりに顔を見せたジョンドゥに迷惑そうだ。それでも兄は、ジョンドゥに中華料理屋の仕事を見つけてやり、説教する。「お前はもう大人なんだ。大人というのはな、社会に適応して生きなきゃだめなんだ」
ジョンドゥは、どうやら軽度の知的障害らしい。雇い主が仕事の説明をすると、途中で話の腰を折り、関係ないことをしゃべり始める。「今日から来てくれ」といわれると、「友達と飲みたいから」と断り、付き添った兄貴に叱られる。そんなジョンドゥの言動に、見ている側はいらいらさせられる。とにかく、周囲と対話をしても話が噛み合わない。ちゃんとジャンパーを着ても、鼻をすするのをやめないから癖なのだろうが、不潔感は否めない。家族が彼を毛嫌いするのもわかるような気がする。しかも、彼はひき逃げだけではなく、暴行と「強姦未遂」での前科もあった。人間のくずではないか。


そしてもう一人。観ていて辛くなるキャラクターが登場する。上に述べたムン・ソリ演じる重度の脳性麻痺患者のコンジュ。彼女は、亡くなった清掃員の娘。ジョンドゥは花束を買い、遺族がすんでいるアパートを見舞ったのだった。ちょうど、コンジュの兄夫婦は、別の場所に引っ越す準備を進めていた。父親を殺した犯人のくせにニタニタして挨拶するジョンドゥに、コンジュの兄は「何しにきた。帰れ」と激怒する。引越しですか? とたずねると、バツが悪そうに、関係ない、と顔を背ける。兄夫婦は出発し、アパートの部屋にはぽつんとコンジュが取り残される。あの娘、一人で大丈夫かな? コンジュが気になったジョンドゥは再びアパートを訪ねる。

顔を引きつらせ、手足を不自由に動かし呻くばかりのコンジュに話しかけているうちに、ジョンドゥは不意に彼女を抱きしめる。抵抗するコンジュに「動かないで」といいながらパンツを脱ぐジョンドゥ。「強姦未遂」で捕まった前科持ち。脳性麻痺患者でもお構いなしで野獣の本性を発揮したか、と思わされる。ところがコンジュがショックで気を失うと、どうしようどうしようと慌てふためき、彼女を風呂場にひきずっていって顔に水をかけ、必死に介抱するのだ。
余談だが、女性を犯そうと襲う男の大部分は、少しでも抵抗されると途端にやる気を失い、やめてしまうものなのだそうだ。実際に強姦までやってしまう男は、相手が抵抗できなくなるまで殴り続けるのだという。強姦被害にあった女性は、そのために見分けがつかなくなるくらい顔が腫れがっているそうだ。ジョンドゥは、決してそうした類の変質者ではない。人並みに性欲はあるが、うまく異性を口説く術を持たず、いきなり行為に及ぼうとするが、相手が怖がったり抵抗したらすぐやめてしまう「普通の」男である。とはいえ、襲われる女性にとっては、変質者であろうがなかろうが、その恐怖は並大抵のものではないだろう。ところが、そんなジョンドゥに、コンジュはなんと、電話をかけてきた。
「聞きたい……ことが……あるの……来て」
映画が始まってから、この電話のシーンまで、コンジュは一切言葉をしゃべらない。後で、緊張状態にない時は、普通にしゃべることができると説明される。言葉を返せば、彼女は、ジョンドゥ以外の人間に対しては、常に緊張状態にあったということだ。なぜ、強引にセックスを迫ってきた男に、緊張せず言葉を発することができたのだろう。
コンジュの兄夫婦は、彼女をぼろアパートに置き去りにして、自分たちだけ小綺麗なマンションに住んでいる。障害者向けに国が用意したものだ。兄夫婦は、コンジュの名義でそのマンションを手に入れ、定期的に役所から見回りが来るときだけ、彼女をマンションに迎え入れてごまかす。普段は、隣に住んでいる親切そうな夫婦が面倒を見ている。もっとも親切からではなく、兄夫婦から月二十万ウォンを渡されている。しかもその隣の夫婦は、うるさい義母の眼を盗んで、コンジュの部屋でセックスにふけったりする。コンジュが観ていてもお構いなしだ。あんな障害者、気にすることないわ。
全裸になってからみあい、あえぎ声をあげる二人。男女は、あんなふうに愛し合うんだ……。コンジュは、鏡台に手を伸ばす。リップスティックを手に取る。唇に塗ろうとするが、うまくできない。リップスティックを手にした手は思い通りに動かず、頬や額に当たりそうになる。それでも彼女は塗ろうとする。あの女の人みたいに口紅を塗れば、男の人から愛してくれるのかな……。
そして彼女は、ジョンドゥに電話する。


やってきたジョンドゥに彼女は訊ねる。「なぜ私に……あんなことを?」
ジョンドゥは頭をかき、わからない、と呟く。なおも問おうとしてうまく声がでない彼女に、ジョンドゥは話しかける。「君の名前は、コンジュ(公主)。お姫様って意味だね……俺も、ホン・ギョンネって昔の将軍の子孫なんだ」。
ホン・ギョンネ=洪景来は、十九世紀の初めに不平官僚と窮民を糾合して反乱を起こした、韓国史ではそれなりに有名人物らしい。韓国では、先祖伝来の家系図である「族譜」が重んじられている。ぼくが子どもの頃、普通の農家に生まれた、いかにも農家の娘らしい風貌のクラスメイトが、「私は清和源氏の子孫よ。系図だってあるんだから」と主張して笑われていたが、韓国では1980年代までは庶民にいたるまで系図を持っていて、出自によって婚姻が制限されることもあったらしい。そんなに裕福でないジョンドゥまでが、有名人の子孫だと教えられて育っていたのだ。
先祖を誇ろうとするジョンドゥに、コンジュは逆襲する。「ホン・ギョンネ将軍は反逆者よ」
そうだったのか、とジョンドゥは笑い、「これからは、君のことを、姫って呼ぶよ」「じゃあ、私はあんたのこと、将軍って呼んであげる」「ははっ! 姫様!」。歯の浮きそうな会話も、ともに障害があってうまくしゃべれない二人の口から出ると、すんなり受け入れられるから不思議だ。
その日以来、ジョンドゥは、コンジュのアパートをたびたび訪れ、洗濯を手伝ったり、あたかもお姫様に対する騎士のように尽くす。二人のやりとりを観ながら、ふと、最初は抵抗感があった二人を、いつの間にか微笑ましく見ている自分に気づく。彼らは、見た目は冴えない。はっきり言えば醜い。だが、今や観る側は、ジョンドゥの優しさやユーモア精神を知っている。コンジュが、実はそれなりのインテリジェンスを持っていることも。とはいえやはり、彼らは社会に適応できない障害者だ。彼らの恋愛はうまくいくのだろうか。はらはらしながら見守らざるを得ない。こうしてわれわれは、いつしか彼らの味方として映画を観るようになっていくのだ。


ジョンドゥは、彼女を外に連れ出すことにする。ある時、「あなたは仕事してるの?」と訊ねられ、兄の工場を手伝っていると答えると「いいな。私も仕事したいな」とコンジュは呟く。彼は悟る。彼女は、人並みのことをしたいんだ、と。二人で電車に乗り、遠くに出かける。コンジュの眼に、向かいの座席でいちゃつくカップルの姿が映る。ふと、つり革につかまっていたジョンドゥの側に、すらりとした美貌の女性が立っている。よく観ると、コンジュそのひとだ。立って歩けないはずの彼女は、カップルと同じようにいちゃつきはじめる。

この映画には、コンジュが健常者になる場面が四回ほど出てくる。いわば、コンジュの願望を具体的な映像にしたものだ。そこでわれわれは、彼女を演じていた女優が、実は華やかな美貌の持ち主だということに気づく。ある意味、残酷な場面だ。実際のコンジュは醜いし、歩くこともできないのだから。
同時に敏感な観客なら気づくはずだ。「健常者」として美しい姿を見せるコンジュにほっとしている自分を。そして、障害さえなければ美女であることを知らされ、より彼女への共感や同情が深まっている自分を。一見ファンタジックでありながら、実は残酷で容赦ない仕掛けが施されているのに気づいたとき、ぼくは慄然とさせられた。

外出したコンジュとジョンドゥは、いたるところで差別的な仕打ちに合う。レストランに入れば露骨に追い出される。客たちは二人から眼をそらし、彼らが去った後で、やれやれ、と安堵の吐息を漏らす。彼らは、醜い障害者を演じていたムン・ソリが本来の美貌を見せる度に安らいだ気分になるぼくら自身の鏡でないと言えるだろうか。
こうした繊細な描写や「観客へのつきつけ」の積み重ねで、監督は、障害を負ったカップルの「美しさ」と、健常者たちの「醜さ」を、静かにあぶり出していく。そして、以下に述べる場面で、決定的な価値観の逆転が示されるのだ。


ジョンドゥはコンジュのアパートで彼女の髪を洗ってやる。「宴席だから、ちゃんと身繕いしなきゃ」とドライヤーをあて、かわいい服を着せてあげる。行き先は高級中華レストラン。そこでは、ジョンドゥの母の誕生会が開かれていた。突然、車椅子に乗る障害者を連れて現れたジョンドゥに、一族の表情が凍り付く。「誰なの?」と問われ、ジョンドゥが答える。「あの清掃員の娘さんだよ」。母親は嗚咽し、兄は激怒して立ち上がる。「ちょっと来い!」。廊下に連れ出して、兄はなじる。「一体、なんのつもりだ。俺にあてつけたいのか?」末の弟が出てきて、口を添える。「ジョンドゥ兄さんが自分から申し出たんじゃないか。自分は刑務所に慣れてるから、身代わりになるって」

そう。コンジュの父親をひき逃げし、死に至らしめたのは、ジョンドゥではなく、立派な社会人として生きている兄のほうだったのだ。

兄をはじめ他の家族は、ジョンドゥを露骨に厄介者扱いした。彼が兄のかわりに刑務所に入ったにも拘わらず、出所してきた彼を避けるように引っ越した。ついに探し当てた彼に「もっと社会に適応しろ」と上から目線でしかりつける。まるで、本当に彼がひき逃げ犯であるかのように。

すなわち彼らは「健常者」による「普通の生の営み」を守るために、軽度の知的障害者であるジョンドゥを生け贄にした。兄は確かに人を死なせた。だが、彼は家族にとって必要な人間だ。二度のムショぐらして迷惑をかけてきた厄介者に罪をかぶせて何が悪い。それで丸く収まるのなら、いいではないか。そんな家族の欺瞞を非難できる資格のある人がどのくらいいるだろう。
醜いものは、なるたけ遠ざけておきたい。それが我々の本音なのだ。


その夜、アパートに戻ったコンジュは、ジョンドゥに「帰らないで」とせがむ。困惑するジョンドゥに、コンジュは言葉を重ねる。「女が、帰らないでと言ってるの……わかるでしょ?」

身体を重ね合う二人。そこに、隣の家の夫婦がやってくる。「こいつ、コンジュに何をする!」「コンジュ、可哀想に……大丈夫?」。ジョンドゥは警察に連行される。取り調べの刑事が鼻でせせら笑う。「お前、よくあんな女を抱く気になったな、この変態野郎」。ジョンドゥは弁解しなかった。彼には、言葉を連ねて自分の立場を有利にしようとする習慣も発想もない。そして、極度の興奮状態にあったコンジュは何もしゃべることができなかった。ジョンドゥは四度目の刑務所暮らしとなった。


こうして二人は引き裂かれる。引き裂かれるが、彼らの関係は悲劇として終わったわけではない。刑務所のジョンドゥから手紙が届く。「姫君……私はいま、刑務所で、サッカーや卓球をやったり、健康的な生活を送っています……将軍より」。手紙を読むコンジュの表情は分からないが、明るい日差しに照らされた彼女の後ろ姿は、どことなく楽しそうだ。彼女は、もう以前とは違う。少なくとも、愛する人の帰りを待つことのできる、普通の女になれたのだから。

↓予告編


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