女が「世界」に抗うとき……『ビー・デビル』(2010年、韓国)

2010年 韓国
監督=チャン・チョルス 出演=ソ・ヨンヒ チ・ソンウォン


レイプ・リベンジものというジャンルが、かつてのハリウッド映画にはあった。男たちから輪姦された女性が、復讐の鬼となって男たちを惨殺していくという筋立てで、ぼくが子どもだった70年代には結構流行っていた。たいてい、アメリカの田舎が舞台で、特に中西部の、男どもは昼間からビールを飲んでいて、女性差別が激しい地域に、都会から女性がやってきて、ひどい目に合わされた挙げ句、相手を酷い目に合わせる。ブレンダ・バッカロ主演の『ウィークエンド』は、確かゴールデンタイムにテレビで放送された。当時家でとっていたサンケイスポーツのアダルト面でその存在を知った『発情アニマル』という映画は、主演女優が喜劇王バスター・キートンの孫娘だった。思春期のぼくは観たい観たいと念じていたら、テレビの深夜放送で日本語吹き替えで放映された。ヒロインはおじいさんゆずりの無表情で、男を誘惑してバスタブに誘い込んで生殖器を切り取ったり、川に連れ込んで斧で足首を叩き切って溺死させたりと、とにかく復讐法の残酷さが半端じゃなかった。実際の事件に基づくとナレーションで言っていたけれど、本当だろうか。
そういえば、『告発の行方』(1988年、ジョナサン・カプラン監督)で男たちに酒場でレイプされ、ケリー・マクギリス扮する女性弁護士と法廷で戦ったジョディ・フォスターは、『ホテル・ニューハンプシャー』(84年、トニー・リチャードソン監督)で弟のロブ・ロウに襲われながら股間を蹴り上げて撃退したものの、学校の同級生数名には抵抗むなしく輪姦されていた。アメリカの田舎では、近親相姦とレイプは当たり前のように行われていることを、これらの映画を通じてぼくは知った。そして、日本の田舎でもそんなことが当たり前のように行われているらしいということを中上健次の小説で知った。


この映画の冒頭近く、レイプされ(おそらく殺され)た女性の写真が一瞬出てくる。殴られたらしい顔は異様に膨れあがり、みみず腫れが走っている。レイプ被害者はたいていそういう相貌になると聞いたことがある。普通の男は、一時の感情で女性を犯そうとしても、ちょっと抵抗されると気力が萎えてしまうものらしい。女性の抵抗がやむまで殴りつけるような異常者だけが強姦という犯罪をやってのける。普通の健全な精神の持ち主なら、どれだけ女性に飢えていようが、レイプなんてやれるものではない。
ただ、そうでない場合もあるのではないか。たとえば、女性をレイプすることを、周囲が認めているような状況だ。数年前、日本の大学のラグビー部員が集団で女性を暴行する事件が起こった。名門ラグビー部が異常者だけの犯罪であるはずがない。おそらく、「やっちゃっていいんじゃねーの?」的な状況ができあがり、そこでレイプに加わらない奴はチキンだみたいな雰囲気になったのではないか。みんなで渡れば怖くない。被害者女性も、大勢の男を敵に回してまで訴え出る度胸はないだろう……というような。
いずれにせよ、レイプという行為の卑劣さはいくら糾弾してもしきれるものではないが、悲しいことに、そういう事件は世界中で起こっている。内戦時にしばしば見られる「民族浄化」も突き詰めればそういうことだ。公認されたレイプ。そして、被害者となる女性にとって最悪の事態とは、他ならぬ同性が、レイプしても構わないと認めてしまう事態だ。それほどの地獄はないのではないか。


邦題「ビー・デビル」、韓国語題「キム・ボクナム殺人事件の顛末」のヒロインが置かれた状況は、まさにそれだ。


彼女は、おそらくは初潮が始まった頃から、複数の男たちの慰み者になることを強いられ、強いられたまま誰の子か分からぬ娘を生み、父親ではない男の妻としてその娘を育て、その男の母親である姑に酷使され、姑の二番目の息子である義理の弟の性欲処理係を務めているという、女性としては最悪の状況のなかにいる。
彼女が住んでいる島の名前は「無島(ムド)」。文字通り何もない絶海の孤島。数十年前だろうか嵐に襲われ、男たちは次々と命を失った。残された女たちは、必死に生き延びて、そのなかで、二人の男の子を産んだ一人の老女が、力仕事を引き受ける息子を持っているというだけで、絶対的な権力を抱いている。老女は、自分の権力を維持するために、息子たちを甘やかす。息子たちを甘やかすためのエサが、この映画のヒロイン、孤島で唯一の「若い女性」であるキム・ボンナムだ。
島には三人、夫や息子を失った老女たちがいる。彼女らは時折、ボンナムに同情心を示すこともあるが、「男手」を分け与えてもらうために、ボンナムに加えられる非道な仕打ちを「黙認」している。要するに、ボンナムが肉体的かつ精神的にレイプされる日常は、周囲によって「公認」されているのだ。


キム・ボンナムを演じているソ・ヨンヒは、『チェイサー』(2008年、ナ・ホンジン監督)で、一人娘を残してシリアルキラーに無惨に惨殺されるデリヘル嬢を演じた。そのはかなげな美貌が、アジアじゅうの男たちの罪悪感を刺激した。今回、彼女は女性として、あらゆる屈辱を味わい、どん底に突き落とされ、そこから開き直り、自分を虐げた連中を皆殺しにする。若い頃の風吹ジュンさんに似た面差しの彼女は、夫が本土から呼び寄せた風俗嬢に強制フェラチオをさせているのを聞きながら、ナムルを混ぜたご飯を、あぐらをかいてかき込む。それが日常なんだ、と。だが、彼女が十歳の娘を守るために島からの逃亡を企て、それが彼女にとってもっともむごい形で阻止された時、押さえてきた怒りが爆発する。
鋭利な農具を手に、自分を虐げた男たちと、そんな男たちを「やっぱり、男手がないと何かと不便だよね」という理由だけで、ヒロインを虐げ姦すことを容認してきた老婆たちを、次々と血祭りにあげるヒロインの姿は、カタルシスすら覚える。殺された老婆のなかには、直接的に虐待には加担せず、時折ヒロインに同情すら見せていた者もいるのだが、それでもなお、彼女らはヒロインに殺される理由がある。そう観客に思わせるだけの説得力がこの作品にはある。それは何か。

殺戮が始まる直前、絶望にさいなまれ、キム・ボクナムは空を見上げる。青空に輝く太陽。「おてんとう様が、私がやるべきことを教えてくださったの」。つぶやきつつ、彼女は最初の一撃を打ち込む。「我慢するのは、体によくないってね」
アルベール・カミュの『異邦人』の主人公は、人を殺した理由を問われ、「太陽のせいだ」と答えたことを想起させるが、そういう意図ではなかったらしい。
この作品でデビューしたチャン・チョルス監督は、このシーンについて問われ、こう答えている。「太陽というのは、神のような巨大な力と言えます。自分の運命と闘って打ち勝つためには、まずそれ(神)に打ち勝ってからでないと勝てないという意味を込めました。あのシーンは主人公が、巨大な力と闘っているという場面なんですね」
ここでぼくは、このブログでも紹介したある映画の強烈なヒロインについて思い出さざるをえない。イ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』だ。幼い頃の父親との軋轢から深い心の傷を抱えて生きるヒロインは、夜空に向かって叫ぶ。「負けないわよ、あんたになんか!」。それは、亡くなった実の父親への、そして、この世界を律する父なる神へに向かって振りかざした蟷螂の斧。彼女もまた、彼女を抑圧する巨大な力に刃向かい、それゆえに傷ついていた。


チャン・チョルス監督は言う。……2004年、密陽市(まさに『シークレット・サンシャイン]』の舞台だ!)で、女子中学生が別の中学生たちから1年以上にわたって性的暴行を受けていたことが発覚した。公聴会では、その戦慄の事件について、100人以上の人間や大半の密陽市の市民たちが、彼女自身に責任があるとして責め立てた。「醜い世の中だ」
ゼロ年代の韓国社会では、華城市やソウルで起こった女性の大量殺人事件が発覚し、映画の作り手たちにインスピレーションを与えた(前者はポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』、後者は『チェイサー』のモデルとなった)。ヤン・イクチュン監督は『息もできない』で、韓国社会に根強く残る男性の女性への暴力を糾弾した。『息もできない』の主人公は、女性に暴力をふるう男を、徹底的に叩きのめす。だが、多くの市民は傍観者として見て見ぬふりをする。誰が韓国の傍観者たちを責められよう。電車のなかで女性がレイプされるのを同じ客車に乗り合わせた人々が誰一人として止めようとしなかった事件が起こったのは、数年前の日本だ。


『チェイサー』で、抵抗むなしく惨殺されたヒロインがこの世に蘇り、世界中の女性たちを虐げている何者かに「恨」のこもった一撃を澄んだ冷静な面差しで打ち下ろすかのようなキム・ボンナム/ソ・ヨンヒの姿は崇高ですらある。たった9人しか住まない絶海の孤島は、いわば人類社会のミニチュアだ。この映画の作り手たちは、丁寧な脚本と演出で、なぜヒロインがそこまで虐待されねばならないのか、あたかもなぜ人類社会に「男尊女卑」の風習が生まれたのかを説明するかのように、説得力のあるドラマを展開する。だから、それに打ち勝とうとするヒロインは、個人的な復讐のために狂った悪鬼ではなく、文明やら世界そのものに抗うジャンヌ・ダルクであり、復讐の女神メネシスだ。。

映画の終盤、ヒロインと肩を並べて重要な役割を果たす一女性が、傍観者であることを捨てて、勇気をふるって加害者を告発する立場に転じた時、この作品の監督のみならず、多くの韓国映画の作り手たちが抱いているモラリッシュとしか言えない志(北野武園子温といった、日本の優れた映画の作り手たちが抱きがちな虚無とは無縁そうな)に、清々しさを覚えざるを得ない。



公式サイト→http://www.kingrecords.co.jp/bedevil/

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