男の威厳とは何か……『春との旅』(2010年 アスミック・エース)

2010年 アスミック・エース
監督=小林政弘 出演=仲代達矢 徳永えり



小学生の頃のぼくは、仲代達矢こそが日本最高の名優だと思いこんでいた。
具体的には1970年前半、映画全盛期のスターたちはまだまだ健在で、石原裕次郎七曲署でボスをやっていたし、勝新太郎座頭市として華麗な剣さばきを見せ、萬屋錦之介は怖いメイクにむっつりした顔で冥府魔道を歩んでいた。とはいえ、そういう人たちは「スター」ではあっても「名優」ではない、というのがその頃のぼくの見立てだった。
仲代達矢が唯一の大河ドラマ主演作である『新・平家物語』で平清盛を演じたのは、ぼくが小学校1年生の時だった。物心ついて初めて観た大河ドラマだった。今、総集編のDVDが出ているが、改めて見直すと、仲代達矢の他、先代中村勘三郎滝沢修山崎努緒形拳北大路欣也高橋幸治森雅之加東大介小沢栄太郎芦田伸介と、貫禄ある名優が勢揃いしていた(女優陣は中村玉緒新珠三千代若尾文子栗原小巻といったところ)。
その中にあっても、堂々としすぎる仲代達矢の立ち居振る舞いは強烈だった。特に死の場面、病床からすっくと立ち上がり、眼をかっと見開き、両手を拡げてよろよろと歩み、ばたっと倒れる演技はいまだに眼に焼き付いている。ただ座ってマイクで指示を出すだけの裕次郎や、むさくるしい五分刈りの新太郎や、不気味メイクの錦之介とは「格」が違うように思えた。裕次郎はともかく、勝新太郎や錦之介の時代劇俳優としての凄みを感じられるようになるのは、もっと大きくなってからである(『影武者』はやはり仲代さんより勝新太郎のほうがよかった、としみじみ思う)。


ともあれ、ぼくにとって仲代達矢という人は、「堂々とした立派な人」だった。『新・平家物語』は現在総集編がDVDになっているけれど、彼が演じる平清盛は、一言でいえば「隙のない大人」である。歴女向け仕様に堕落してしまった現在の大河ドラマの主役たちとは比較にならぬほど、「大人」なのだ。当時の大河ドラマは、「大人とはこうあるべきだ」という教科書だったような気がする。機会があったら、同じく総集編DVDが出ている『樅の木は残った』(1970年)での、37歳の平幹二郎演じる原田甲斐と、27歳の北大路欣也演じる酒井雅楽頭の、うわべは冷静を装いつつ内面で火花がばちばち飛びまくっているようなやりとりと、現在放映中の『龍馬伝』での福山雅治(41歳)と香川照之(45歳)の掛け合いを比べてほしい(特に香川さん。大仰な仕草でわめくのが若さを表現することだという勘違いから早く醒めてほしい)。
要するに、当時の俳優は「ちゃんとした大人を演じる」ことが求められていた。年齢は関係ない。仲代達矢が、映画『切腹』(1962年)で、可愛い孫がいながら息子の復讐のため命がけで敵陣に斬り込んでいく老いた浪人を演じたのは、29歳の時だった(仲代は近作『座頭市 THE LAST』で可哀想に香取慎吾ごときに斬られてしまう悪役を演じている。香取くんもすでに33歳。おそれおおくも勝新太郎大先生が渾身で作り上げたキャラを演じるなら、それなりの覚悟は決めてたんだろうな!)

↓『切腹』。仲代達矢29歳、三国連太郎39歳、丹波哲郎40歳

まあ、今の俳優たちを責めても仕方ない。「隙のない威厳ある大人を演じられる俳優」が求められていないのが現代の日本だ。観る側が役者に求めるのは「可愛らしさ」であって、「成熟」や「威厳」ではない。それらを表現するための技術(腹からきちんと声がでるとか、眼差しがびしっと落ち着いているとか、背筋がぐっと伸びているとか)を学んだ事がない俳優に要求するだけ無駄なのだ。かくして、日本の映像作品は幼児化の一途を辿っている。


というわけで、『春との旅』。

仲代達矢演じる主人公の忠男は頑固な元漁師。小学校の給食センターで働く孫娘の春(徳永えり)と二人暮らしだが、小学校が閉鎖されることになり、収入がなくなってしまう。忠男は、東京に出で働きたいという春の希望をかなえるため、自分を引き取ってくれる親戚を捜して旅に出る。
黒澤明監督の右腕的存在だった野上照代さんが、映画のパンフレットでこの作品をシェークスピアの『リア王』になぞらえていたが、確かに物語構成は似ている。仲代達矢は舞台でリア王を演じたこともあるし、主演した『乱』(1985年、黒澤明監督)は『リア王』の翻案だ。リア王が道化をお供に娘の家を順繰りに訪ねた挙げ句、邪険にされ追放されるように、忠男もまた、訊ねた先でトラブルを起こし、どこへ行っても門前払い、あてがあるのかないのかはっきりしない旅を続ける羽目になる。
とにかくこの主人公、人に頭を下げるのが大嫌い。まず最初に訊ねるのが、事業に成功して悠々自適の隠居生活を送っている長兄(大滝秀治)の家。もともとソリの合わない兄にさんざんイヤミを言われた挙げ句、切れて飛び出してしまう。見かねた孫娘がいくら止めても、絶対に言うことをきかない。歩くときは、必ず自分が先頭に立つ。「お前は黙ってついてこい!」。電車で並んで坐るのも嫌がる。ある意味、『息もできない』の主人公同様、上から目線と乱暴な罵倒でしか、他人とコミニュケーションを取れない「男」である。かつては忠男も、ニシン漁がさかんな時期は羽振りのいい時代もあった。だが、かつて羽振りがよかっただけに、頑なに過去の栄光に閉じこもる彼は、空虚な威厳だけを振り回すだけで、「成熟」できない暴君だ。
「威厳」とは、賞賛してくれる他者がいてこそ成り立ちうる。そして「成熟」は、そんな他者たちへの心遣いがなければ育たない。そんな関係性が成り立ち得なくなれば、「威厳」は他者に対して自分を守る鎧でしかなくなる。現代においては、男らしい男ほど、ただの頑固爺になるしかないのではないか。空回りする威厳。かつての平清盛のなれの果てが、そこにいる。


そんな忠男が、唯一安らげる相手は、旅館を営む姉(淡島千景)だ。しっかり者の姉に説教され、「だって姉ちゃんさぁ〜」とだらしない声で、甘ったれの弟に帰る忠男。仲代達矢自身、幼い頃は、姉が友達と遊んでいるそばで、一日じゅうぼーっとしているような子供だったらしい。日本人離れした立派な顔立ちながら、引っ込み思案でブレイクしきれなかった無名時代の彼を励ましたのは、俳優座の先輩である姉さん女房の宮崎恭子だった。20代後半でめきめき頭角を現した仲代は、黒澤明の『用心棒』『椿三十郎』、小林正樹の『人間の條件』、市川崑の『炎上』といった名作に出演し、充実した役者生活を送る。だが、30歳をすぎた頃に日本映画はピークを過ぎ没落の一途。山のようにシナリオが送られてくるが、どれもこれも、かつて巨匠たちと仕事した名作には及ばない。役者業に身が入らなくなった。
彼が再び役者業に意欲を燃やし始めたのは、40歳を過ぎて設立した無名塾だった。新たな役者を発掘するという使命を与えられ、再びやる気を取り戻し、実際に役所広司や隆大介、若村麻由美といった人材を送り出すが、その無名塾のお膳立てをし、実際に運営に当たっていたのは恭子夫人だった。法律家の家に生まれ、家族の反対を押し切って女優となり、仲代達矢という素材に惚れ込んで、彼を「女房役」として支えるために、きっぱり女優人生を諦めた恭子夫人に、仲代達矢は終生、頭があがらなかったようだ。14年前、恭子夫人に先立たれた仲代は、自殺すら考えたらしい。だが、夫人がこの世の置きみやげに残した無名塾をなんとかしなければ。そういう思いで77歳の今日まで生きて、9年ぶりの主演映画を得た。仲代達矢は、「偉丈夫」という形容がぴったりな外見とは裏腹に、実生活では女性たちに支えられて生きてきた、いわば草食系男子の走りだったのだ(そもそも恭子夫人とのなれそめも、彼女のほうが積極的だったらしい)。


ストーリーに戻ろう。安心して甘えられる姉の前で、忠男は男としての威厳を捨ててしまった。いったん捨てた男らしさを取り戻すのが困難なのは、大古ならば誰とて同じ。姉の旅館にも引き取ってもらえず、春と二人とぼとぼ歩く忠男は、いきなり「安宿はいやだ。ホテルにとまろう」とダダをこねる。限られたお金をやりくりしてきた春は反対するが、忠男は頑なに「ホテルを探せ!」。仕方なく春は、空いているホテルはないかと町中を探すが、どこも満杯。「おじいちゃん、どこも空いてないよ。我慢して安宿に泊まろうよ」という春に、「いやだ、もう歩けない!」と道ばたに座り込む忠男。


それでも春は、我が儘な頑固爺の面倒を見続ける。彼女を演じる徳永えりがいい。ださいトレーナーにがに股歩き。早く両親と離れて、横暴な祖父に抑圧され、自分を抑えて生きていくしかない少女。威厳が空回りするだけの忠男のために、彼女は奔走する。そんな春の姿に、忠男は自分の老いを感じる。かつては荒れ狂う波にも負けず海の男として生きてきたが、今はもう、二十歳の娘っこほどの体力もない。このまま俺は老いさらばえて死ぬしかないのか……。気力も萎え果てた忠男を、春はけなげに励ます。「おじいちゃん、行こうよ」。忠男は再び歩き出す。とぼとぼと孫娘の後について。


そんな忠男に自信を取り戻させたのが、柄本明演じる弟だった。不動産業で成功し、いかにも水商売上がりなヒョウ柄ワンピースを着た妻(美保純)とこぎれいなマンションで暮らす弟は、突然現れた忠男に、兄ちゃんなんか嫌いだよ! とののしる。罵倒され切れた忠男は、弟とつかみ合いの喧嘩となる。お前なんかに負けてたまるか! 兄貴魂に火がつき、10歳以上離れているらしい弟と、互角に戦うことで、忠男は自信を取り戻す。物理的な力を発揮することでしか男は自信を得られない悲しい生き物だ。


だが、男ゆえの悲しみを威厳の甲羅で覆うことが、果たして幸福なのだろうか。
この映画は、リア王に従う道化のように、じっと祖父を見つめる春の視点で語られる。初めは、「何よ偉そうに」「ばっかじゃないの」「ちょっと、おじいちゃん無理しないでよ」と冷ややかな眼差しを送っていた春。だが、おっかないおじいちゃんが、実は男ゆえにいつまでたっても愚かしく、愚かしいがゆえに可愛いところがあることに気づく。しょうがないなあ、私がちゃんとするしかないんだね。そんな孫娘の眼差しに、忠男も素直に自分をさらけだすようになる。素直に自分をさらけだす忠男を、母親のように見守る春。二人の関係は、次第に対等の立場で寄り添い合う関係になっていく。


正直、映画作品としての『春との旅』の完成度は、高いとは言えない。低予算で、撮影期間はたった三週間という強行日程だったせいか、作り込みが甘い。特に、カメラワークがひどく窮屈だ。大滝秀治菅井きん淡島千景、田中裕子、柄本明、美保純と、ベテランをずらりと並べた脇役陣はさすがに安心して見ていられるが、主役二人のがんばりを効果的に活かしているとは言い難い。この程度の規模の映画でも、韓国では最低四ヶ月はかけるという。国の援助があってこそだが、そのくらいの好条件を与えてあげれば、本当の意味での名作になったかもしれないと思うと、現在の日本映画を取り巻く状況は寂しすぎる。


そんな過酷な条件の中で、男とは何か、女とは何か、人間とは何かを描こうとした作り手たちのチャレンジ精神は素直に称えたい。後は、彼らのがんばりに答えられるだけの環境を作れるかどうかに、日本映画の未来はかかっているような気がする。


↓『春との旅』予告編


春との旅

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切腹 [DVD]

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遺し書き

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