女優さんの輝き方と輝かせ方について

昨日、『OUT』(2002年、平山秀幸監督)という映画のDVDを妻と見ていた。
桐野夏生原作の同盟小説の映画化で、弁当屋で働く四人の主婦仲間が、ある事件をきっかけに、どんどん人の道から外れていく(アウト!)というストーリー。この手の映画の成否は、女優さんの魅力をいかに引き出すかにかかってるとおもうのだけれど、その点、不満が多かった。四人の主婦を演じるのは、倍賞美津子原田美枝子室井滋西田尚美。顔ぶれだけ見れば期待の持てる面々。

倍賞美津子さんの演技にうならされた。ちょっと天井を見上げる目つきといったさりげない仕草が、実に映画的魅力を発するのだ。おそらく彼女は、自分がどういうアングルでカメラに映っており、そういう場合、どういう仕草や表情をすれば、キャラクターに輝きが生まれるかを知り尽くしているのだろう。さすがに今村昌平その他の巨匠に鍛えられただけのことはあると感心させられた。
その点、倍賞さん以外の女優さんの魅力に乏しいのが気にかかった。原田美枝子さんは昔から大好きな女優さんだし、時折はっとするほど美しい表情を見せるのだけれど、それは原田さんが美しいのであって、彼女が演じる主婦が美しいのではない(この違いが重要)。芸達者だと思ってきた室井滋さんも、しょせんは器用なテレビ役者でしかないのかなあ……と寂しい気分にさせられた。西田尚美に至っては、演技力のつたなさがなんの手当もされないまま放り出された感じ。
要するに、作り手が彼女らの魅力を引き出せていない。倍賞さんが例外なのは、彼女は日本映画がまだまだ輝いていた時代に、巨匠たちとキャリアを積んできたからであって、いわば、作り手の凡庸さを女優力でなんとかカバーしたにすぎないとしか思えないのだ。

一例をあげよう。
西田尚美さん演じる主婦は、妊娠していてかなりお腹が目立っている。夫(大森南朋)は博打にうつつを抜かすDV夫。大森南朋が西田さんを殴るシーンがある。一緒に見ていた妻は『なんでお腹をかばわないの!』と画面を指さして叫んでいた。
確かに、西田さんは、暴力を受けている間、一度たりともお腹をかばっていなかった。西田さんの役は、自分勝手で無責任な馬鹿女で、この馬鹿女のせいで、他の3人が危ないゾーンに巻き込まれたようなものなのだが、それでも、やはり母親、暴力を受けてもまずは赤ちゃんをかばおうとするのだな、という場面がひとつでもあれば、まだ同情が抱けるのだけれど、お腹を足蹴にされたた後でも、ひたすら自分の頭や顔をかばっている。赤ちゃんなんぞどうでもいい、自分だけが大事という自己中女に見えてしまい、ひどい暴力を振るわれる同情すべき存在に見えなくなってしまうのだ。
そういえば、原田美枝子演じる主婦も、お腹の大きな西田尚美に、平気で重いものを運ばせたり、旅行に連れ出したりする。彼女は、一児の母親という設定だから当然自分が妊娠した経験があるはずなのに、そんなことに考慮している場面が一度もないから、単なる無神経女に見えてしまう。

この映画の主人公たちは、それぞれ生活に苦しみを抱え、しかも欠点が多い女たち。そういう彼女らのキャラクターが魅力的でなければ、彼女らがどんどん道を踏み外し、窮地に陥っても、自業自得だろとしか感じられない。だから物語全体が、どうストーリーを練り上げようとも、『どうでもいいよ』って事になってしまうのだ。

この映画を見ながら、ぼくはふと、以前聞いた桃井かおりさんのエピソードを思い出した。何かの映画で彼女が妊婦を演じることになった。助監督がお腹に入れる詰め物をもってきたとき、彼女は「妊娠何ヶ月の妊婦のお腹の大きさって、それで合ってるの?」と訊ねた。助監督がしどろもどろで応えられないでいると、烈火のごとく怒ったという(ちなみにその助監督は三池崇史さんだとか)。妊婦にとって、お腹の胎児の存在がどれだけ大きいかを思えば、単に記号的にお腹をふくらませればいいというものではないだろう。
でも、『OUT』の作り手たちに、そんな発想はなかったようだ。
映画は、映っているものすべてが、ストーリーやキャラクターを表現している。あるキャラがどんな仕草でコップの水を飲むか、道で人とぶつかった時どんなリアクションをするか。メインストーリーと関係ない場面における一見意味のない動作や表情が、映画全体の印象を大きく左右する。だからこそ、作り手も役者も、すみずみまで細やかな配慮が求められるのだ。


最近の日本映画は、そういう意味で「雑」すぎる作品が多すぎる。


OUT [DVD]

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OUT 上 (講談社文庫 き 32-3)

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OUT 下 (講談社文庫 き 32-4)

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