平凡人の偉大さ……『コーラス』(2004年、フランス)

2004年 フランス
監督・脚本・音楽=クリストフ・バラティエ  出演=ジェラール・ジュニョ/ジャン=バティスト・モニエ

一人の教師の情熱と指導によって、不良少年たちが成長していく。そういう物語が、今の日本人は大好きだ。ちょっと前だと仲間由紀恵の「ごくせん」、近年だと「ルーキーズ」。いずれも今年、映画版が公開され、テレビが大宣伝した。いま人気のイケメンたちが不良生徒役で大集合。いまのイケメンとされてる男の子たちは、ヘアメイクさんにセットしてもらいたての色を染めたロン毛じゃないと、別にどうってことないレベルの奴が多い。かつて、キムタクがロン毛のまま特攻隊員を演じたトンデモ映画があったが、不良少年役なら、事務所が押しつけてくるイメージを壊さずにすむ。

この『コーラス』も、不良少年と音楽に情熱を傾ける教師の心のふれあい、という意味では、上記の志の低い日本のドラマと同じ構造を持っている。
手のつけられない問題児ばかり預けられている山奥の寄宿制学校に、舎監(寄宿舎の管理人兼生徒指導員)として赴任してきたマチュー先生(ジェラール・ジュニョ)が主人公だ。校長は、問題児たちを前に厳罰主義で規律を保とうとしている。それでも生徒のイタズラはやまない。イタズラも度を越していて、マチュー先生がやってきたその日、生徒のイタズラで大怪我をした用務員が病院に運ばれる。
イタズラをした生徒は体罰を受けたり、暗い監禁部屋に閉じ込められる。罰を受けて反省するどころか、ますます教師への敵愾心を燃やし、イタズラはエスカレートする。そんな堂々巡りに疑問を抱くマチュー先生。何より、大人に対して心を閉ざした子供たちの姿に、なんとかしてやれないかと考えをめぐらし、ふと、生徒たちで合唱団を結成すればどうか、と思いつく。マチュー先生の指導に、子供たちはしだいに心を開いていく……。

とまあ、あらすじを読む限り、よくある熱血教師の体当たり指導の物語だが、たとえば、上に記した日本のテレビドラマ(これに金八先生や熱中時代を加えてもいいのだが)と大きく違うのは、マチュー先生のキャラクターだ。

マチュー先生は、挫折した作曲家の成れの果てだ。見た目は冴えない。小太りで頭は禿げ上がり、声はかぼそく、まるで威厳を感じさせない。金八先生みたいにご立派なお説教を長々とやるわけでもない。生徒と同じ目線で一緒に悩んであげるわけではない。あくまでも年長の指導者として生徒に接する。厳格な校長のやり方に異議を唱えるときも、熱弁をふるうわけではなく、小声でそっと抗議してみて、通じないとわかると引き下がる(でも、信念は曲げない)。
マチュー先生は、合唱の指導を通じて、子供たちを変えようなんて、大それたことを考えているわけではない。ただ、イタズラと罰の果てしない循環構造にある生徒たちに、ごく普通に年長者と接する場を与えたいというだけだ。生徒にひとり、音痴で物覚えの悪い子がいる。マチュー先生は、彼には歌わせず、譜面台役を命じる。できない子に一緒に歌わせても、彼の欠点が際立つだけだ。かえってイジメにあったり、才能のなさに落ち込むかもしれない。だったら、別の役割に徹しさせようというわけだ。一方で、天性の美声をもつ少年は、ソロパートをやらせて、その才能をより多く発揮させる。厳しくしごくわけでも、やさしく平等に扱ってやるわけでもない。
そして、どんな状況にあっても、ごく普通の、当たり前の教師であることを淡々と貫くマチュー先生のあり方を見ていくうちに、冴えない中年男という最初のイメージは変わっていき、威厳と慈悲を備えた偉大な人間に見えてくる。演じ方が変化してくるのではない。そのキャラ造詣は最初から最後まで一貫していてぶれない。見る側は、さまざまなエピソードの積み重ねを通じて、冴えない外見に隠されたマチュー先生の強さ、暖かさを次第にわかっていくという仕掛けなのだ。

つまり、ごく普通の、当たり前の教師なのだ。極端なことは何もしない。彼の存在によって学校が変わったわけでもなく、すべての生徒が彼によって救われたわけでもない。しかし、だからこそ、先生と生徒が、ごく普通に接することが、どれだけ実は大変で重要なことかが、自然と浮かび上がってくる。

あるきっかけで、発表会が開かれる。生徒たちは、日ごろの練習の成果を人前で披露する機会を得る。こんなことは今までなかった。それだけで十分だ。客席が異様に盛り上がったり(『スイング・ガールズ』のように)、そんな臭い演出がないところに、作り手たちのセンスのよさが現れている。もちろんん、譜面台くんは譜面台くんのままだ。

この発表会の後、思わぬ不祥事の責任を負わされ、マチュー先生は学校を去る。彼には、できたこともあれば、できなかったこともある。多くの先生と同様に、だ。先生と生徒の別れの場面は、感動的だ。ある小道具が使われるのだが、前もって伏線が張られているので、大仰にならないのがいい。生徒たちが一人ずつ、先生に感謝の念を述べ、その都度音楽が盛り上がるような(『ルーキーズ 卒業』!)野暮なまねはしない。

つくづく思うが、もしこの題材が日本で作られたらどうなるだろう。先生役は? 西田敏行武田鉄矢? あるいは竹中直人? 考えただけでぞっとする。いやたぶん、織田裕ニかスマップの誰か、吉本興業の人気タレントかもしれない。あるいは女教師に設定を変えられ、モデルあがりの美少女タレントがあてがわれるだろう。旬の美男美女をそろえないかぎり、客は来ないと信じきっているのが、今の芸能界の堕落だ。
平凡人のなかにある偉大さというテーマは無視され、大仰でおしつけがましい感動場面の嵐になることは目に見えている。だいたい、マチュー先生を演じられる役者がいるだろうか。中村梅雀温水洋一が、気弱でだらしないステレオタイプな(すなわち、馬鹿でもわかる)小市民を演じさせられている日本のドラマを見るたびに、無理だよなあとため息をついてしまうのであった。

コーラス メモリアル・エディション [DVD]

コーラス メモリアル・エディション [DVD]