オリンピックの美と官能……『民族の祭典・美の祭典』(1938年、ドイツ)

1938年 ドイツ
監督=レニ・リーフェンシュタール

最近、『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』という本を読んだ。「真実と嘘」ではなく「嘘と真実」という邦題が、あらゆる意味で20世紀を代表する女性芸術家の生涯のある面を表しているようでおかしい(原題は、”Leni - The Life and Work of Leni Riefenstahl ”)。
もともとダンサー、女優であったレニが世界的に有名になったのは、ヒトラーの下で、二つの記録映画を監督したからだ。ナチスの党大会を記録した「意思の勝利」、そしてベルリン・オリンピックを記録した二部作「民族の祭典・美の祭典」である。とくに後者は、たんなるドキュメンタリーを超え、スポーツを始めて「芸術」として描いた作品として高い評価を得た。戦後、ナチスの協力者として非難を浴びることになるが、彼女はめげることなく、カメラマンとしてアフリカのヌバ族を撮影した。ヌバ族が近代化してしまい撮影対象にならなくなると、今度は海にもぐって多くの海中写真を発表した。タフを絵に描いたような女性だ。

ぼくは一度だけ、レニに会ったことがある。十年以上前だが彼女が来日することを知り、ある雑誌の編集をしていたぼくは取材を申し込んだ。だがなかなか返事が来ない。来日をコーディネートしていた事務所に「まだですか?」と問い合わせると、「本人がなかなかつかまらなくて」という。なぜですか、と重ねて聞くと、「いま、紅海で潜っていますので」とのこと。当時、彼女はもう90歳近くだった。仰天するしかなかった(その後、2002年に彼女は、100歳で『ワンダー・アンダー・ウォーター――原色の海』という記録映画を発表する)。
彼女は予定通り来日し、無事に取材を終えた後、ある書類に署名してもらうことになった。皺だらけの手が細かく震え、やわらかいフェルトペンでなければサインできなかった。40歳くらいの男性が彼女をエスコートしていた。「年下の愛人」という噂だったが、真偽は知らない。
そんな些細な思い出だが、『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』を読んでいて、なるほどなあ、と感じるところが多かった。

ベルリンの貧民街で生まれた彼女は、友人の多いほうではなく、ひとりロマンチックな妄想にふけるのが大好きな少女だった。正確に言えば、その妄想を芝居にして演じるのが大好きだった。弟が、ただ一人の共演者兼観客として付き合わされた。美貌と運動神経に恵まれた彼女は、ダンサーとして生きることになった。彼女のダンスは、ダンサーとして出演した映画に記録されているのだが、正直あまり魅了されない。ダンスと言うより体操のようで、官能とか狂気といった、観客の感性をゆすぶるものが欠けているのだ。本人はひどく楽しそうだけれど。

実際、彼女はダンサーとして大きな成功を収めなかった。舞台に立てたのは、お金持ちのパトロンがいたからだ。やがて膝を痛めた彼女が女優に転じたとき、主演映画に出資してくれたのもそのパトロンだった。大勢のスタッフや共演者と共同作業である映画作りを、彼女は好きになれなかった。自分の思い通りにできるダンスのほうを好んだが、それでも女優でありつづけたのは、有名になりたい、目立ちたい、という願望があったからだ。彼女は、愛人に制作費を出資させながら、監督や共演者、スタッフと性交渉を持った。単に淫乱なのではない。男たち同士を嫉妬させ、結果的に自分の思い通りに事を運ぶのが上手かったという。男たちは、彼女に振り回されながらも、結果的に彼女のために尽くす羽目になった。レニは晩年、長い自伝を書くが、こうした異性関係に関しては口を噤んでいる。

そこまで全力を尽くしたレニだが、映画女優としても大成できなかった。当時、ドイツの女優たちの夢は、海外で認められる作品に出てハリウッドに渡ることだった。イングリッド・バーグマングレタ・ガルボはそのようにしてアメリカにわたって大スターとなった。レニは、俊英ジョセフ・フォン・スタンバーグが新作映画で、踊り子役の女優を探していると知り、オーディションを受けたばかりでなく、スタンバーグに接近し、もちろんセックスもした。
結局、踊り子役を射止めたのは別の女優だった。マレーネ・ディートリッヒは「嘆きの天使」で男を翻弄し破滅させる踊り子を演じて大評判を呼び、ハリウッドに渡った。

一方のレニがお呼びがかかるのは、いわゆる「山岳映画」だけだった。雪山でのロケ撮影が中心で、遭難のスリルや、ロッククライミングなどの危険なアクションで見せる映画である。レニはむちゃくちゃ運動神経がよく、雪山での過酷な撮影に耐えうる体力があったから重宝された。ただし、演技力には疑問符がついた。街を歩けば男どもが振り向くだけの美貌の持ち主だったが、それをスクリーンの上でより磨きをかけて観客を魅了するだけの表現力は持っていなかった。やがて山岳映画からも声がかからなくなり、彼女はついに自力で映画を製作することにした。出資者は例によって金持ちの愛人。主演は自分、監督も自分でやる。アルプスの山奥でのオールロケ。エキストラは地元の村人たちだ。彼女はスカートに裸足で危険なロッククライミングを披露。かくして「青の光」(1932年)は完成した。当時、女流監督として映画史に名を残す存在は、世界中で彼女一人しかいなかった。
ストーリーは単純なものだ。アルプスの山村に住む娘ユンタは、村人から忌み嫌われている。都会から来た画家は彼女に興味を持ち、ある夜、険しい山をのぼっていく彼女の後を追う。すると、山の頂に洞窟があり、水晶が月光を受けて煌いている。画家は、村人たちにそのことを知らせた。村人たちは水晶を採掘して儲けた。だが、自分だけの楽園を破壊されたユンタは死を選んだ……。

月光と水晶の煌きを受けて洞窟にひとり佇むリーフェンシュタールの姿は確かに美しく、官能的だ。光と影を駆使した画面構成もすばらしい。おそらく彼女は、生まれてはじめて官能的な表現とは何かを掴んだだろう。
だが、悲しいかな、彼女には物語を作る才能がなかった。ストーリーは、彼女が少女時代、弟を相手に演じていたであろう妄想の世界と大差なかっただろう。ひたすらロマンチックで、美しく、悲しく、そして観客を納得させ物語に引き込むだけのリアリティはない。
映画は興行的に不評で、女優としても監督としても、彼女に声をかけてくれる人はいなくなった。そんな折、彼女は「この人はすごい! 私、この人に会わなきゃ!」と言い出した。その相手はアドルフ・ヒトラーだった。

当時のヒトラーはようやく政権を奪い、独裁者への道を歩み始めたばかりだった。ヒトラーはたまたま「青の光」を見ていたらしい。俗世間の醜さと、山の美しさを単純に対比させるレニのシンプルな美意識は、若い頃、売れない画家として享楽の都ウィーンを彷徨っていた小男には、訴えかけるものがあったのかもしれない。ヒトラーは、彼女のアプローチを受け入れ、レニは総統の取り巻きの一員となった。レニは、ナチス思想そのものには興味がなく、またそのユダヤ人差別政策には批判的だったと弁明し、「ヒトラーの愛人だった」という噂は全否定している。だが、当時、ヒトラーをあからさまに誘惑するレニの姿を目にした人は少なくないようだ。もっともヒトラー自身は、レニを相手にしなかった。一説に寄れば、彼は性的不能者だった。
こうして、ドイツ最大の権力者をパトロンを得たレニは1936年のベルリン・オリンピックの監督を務めることになった。

やっと話は「民族の祭典・美の祭典」になる。この映画ほど、賛否両論分かれる作品は少ないだろう。ナチ協力映画と批判され、長くドイツ国内では上映禁止だった。レニの目的が、ナチス賛美ではなく、「美」の追求だったと認める人も、彼女の美意識はナチスのそれに似ていると指摘する。レニにあまり好意的でない作家は、ベルリンオリンピックを扱ったドキュメントで、こう書いている。「幸いなことに、彼女の美意識には人種差別的なものはなかった」。確かにそのとおりで、たとえば、こんな場面がある。短距離走走り高跳びで四つの金メダルを獲得し、大会のスターとなったアメリカ人選手のジェシー・オーエンス。レニのカメラは、一流黒人スプリンターの鋼のような肉体を、舐めるように捉える。そればかりではない。レニと同様、オーエンスの肉体美に魅せられた金髪の少女が、息を呑んで助走を見守る場面は、黒人を劣等人種としたナチスの美学とは正反対のものだ。

レニは、アスリートたちの美を描くためには、時には競技の記録性を無視した。マラソンの場面では、ある時点から画面はランナーたちの心象風景になる。観客の姿は消えうせ、過ぎていく沿道の草、前を走る選手の影、必死に地面を蹴る足などが、長距離ランナーの孤独と苦悩を描き出し、そして高鳴るファンファーレとともに勝者が称えられる。そうした演出のため、彼女は、実際の競技のときの映像ではなく、練習中に撮影したカットを挿入した。彼女は競技を記録したのではない。競技を(正確にはそれぞれの競技が持つ魅力を)、彼女の美意識で再構成したのだ。走り高跳び決勝は、日本とアメリカの4選手が互いに譲らず、ついに夜間にもつれこみ、用意したライトでは、撮影することができなかった。するとレニは、翌日の夜、あらためてスタジアムにエキストラを入れ、すでに表彰を終わった選手たちを呼び出し、決勝の模様を再現させたのである! バーを構えて助走にはいる寸前の日本人選手は、心なしか照れ笑いを浮かべている。
時には、順位すら無視される場面もある。クライマックスの高板飛込みだ。選手たちが次々と現れ、名前のアナウンスもなく、プールに飛び込む。それが角度をかえて繰り返される。音楽が高鳴り、なんの説明もなく、映画は終わる。

レニが興味を持ったのは、誰が(どこの国が)メダルを取ったかではなかった。スポーツする身体が、人間の可能性をどこまで広げ、どんな美を描き出すかにあった。一人、また一人と選手が飛び込むごとに、カメラアングルが変えられる、フィルムを逆回転させる、逆光で真下から選手を映しだし、人間があたかも大きな翼を広げ、天に舞い上がっていくかのような錯覚を起こさせる。肉体を鍛えることによって、人間は翼を手に入れ、限界を破ることができる。険しい崖をよじのぼっていけば、月光に照らされた水晶の洞窟という別世界にたどり着くことができるように。

ちなみに、レニはオリンピック撮影の最中、十種競技アメリカ人選手と愛人関係に陥る。残念なことに(?)彼は白人選手だった。彼女は黒人の肉体の美と官能を描くことには熱心だったが、自らの恋愛の対象にはならなかったようだ。

結局のところ、レニ・リーフェンシュタールという人は、少女時代に妄想したロマンチックな世界をこの世に出現させることに、全力を注いだかのように思える。そのためには、多くの男を踏み台にし、ヒトラーパトロンとすることさえ躊躇わなかった。山に、スタジアムに、アフリカに、そして海の底へも潜った。彼女自身にとっては、美を追求する彼女に嘘はなかっただろう。だが、被写体としての美は、それ自体が嘘なのだ。美は、山にもスタジアムにもアフリカにも海の底にもない。それは彼女の内部にのみ存在し、それを外の世界に映し出そうとする時、彼女は平然と嘘をついたのだ。

レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実

レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実

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