1957年 新東宝
監督=渡辺邦男 出演=嵐寛寿郎田崎潤/林寛/高島忠夫宇津井健丹波哲郎/藤田進/若山富三郎


戦前日本において、戦争というのは国民にとって、ワールドカップやオリンピックのようなものだったんじゃないだろうかということを考えさせられたのが、この映画である。

たとえば、19ヶ月続いた日露戦争での日本兵の戦死者は7万人とされている。膨大な数だが、2007年と2008年に自殺した人の数とほぼ同数なのだ。経済格差によってなのか、自殺者がここ10年ばかり年間三万人を越えているというニュースを聞けば、誰だって心を痛める。だが、ニュースがスポーツ関連に切り替わったとたん、すぐに忘れてしまう人が大多数だろう。身内に自殺者がいないかぎりは。
だとすれば、日露戦争で七万人の日本兵が戦死し、数十万の遺族が悲しんだとしても、他の数千万の日本国民は、勝敗に一喜一憂し、最後に勝利を収めたことで歓喜にむせぶことに忙しくて、絶対的に少数の戦死者やその遺族に思いをはせる人は少なかったのではないか。勝てばみんなで万歳三唱し、負ければ指揮官批判が始まる。もっとも、戦前日本は、たいてい対外戦争に勝っていた(あるいは勝っていたことにされた)から、指揮官批判は現れず、もっぱら万歳三唱だけが響いていた。現在のマスメディアがひたすら金メダルをとった日本人選手をクローズアップするように(その背後で予選敗退した膨大な日本人選手に触れることはない)。理由は簡単、そのほうがお金が動いただろうから。
1867年の明治維新以来、日本は、1875年の台湾征討、1894〜1895年の日清戦争、1904〜1905年の日露戦争、1917年のシベリア出兵、1931年の満州事変、1932年の上海事変、1939年のノモンハン事件、1937年〜1945年の日中戦争、1941年〜1945年の太平洋戦争と、しょっちゅう戦争をやっている。その都度、数多くの犠牲者が出たが、日中戦争までは、せいぜい、現在日本の年間あたりの自殺者数と同じくらいの戦死者にとどまっていた。だが、日中戦争以降、事態が変わる。
太平洋戦争では、200万の日本兵が戦死し、100万近い非戦闘員が亡くなった。5世帯に1人の悪愛で肉親を失ったのだ。さらに空襲で、家を焼かれたり財産を失った国民は1500万人だ。ちなみに、終戦時の日本の人口は7000万人。5人に1人は、戦争で大きく運命を変えられた。
戦後、「とにかく戦争はやだ!」という絶対平和主義が日本中に広がったのは、必ずしも右翼の言うところの戦後民主主義だの東京裁判史観による洗脳ではありえない。戦争によって多くの国民が悲劇に見舞われ、あるいは身近で悲劇を目撃した。イヤにならないほうがおかしい。
そして、戦争を知る世代が少なくなったことによって、戦後民主主義や戦後平和主義思想に対する反感が高まったこともまったく不思議ではない。
自分が当事者でなければ、戦争くらいおもしろいエンターテインメントはないからだ。

この映画が制作されたのは1957年。日露戦争が終わってから52年後だ。実際に従軍した人も存命だったろうけれど、圧倒的多くの観客は、戦前における日露戦争に関する「物語」をすり込まれた世代だ。そういう意味では、戦前において日露戦争がどのように語られてきたかを知ることができる貴重な映像資料でもある。

軽快で爽やかな軍艦マーチふうの音楽に乗ったタイトルクレジットの後、映画はまず、ナレーションと地図でロシアの満州進出とそれに伴う日本の危機が語られる。代議士が大勢の群集の前で演説している。前に紹介した映画「大虐殺」で爆弾テロリストを演じていた若き日の天知茂が、ここでは「国民全員一致団結して国難に当たれ!」と熱弁をふるっている。群集はそれに応えて、そうだそうだ、とロシア非難の大合唱。
続いて、場面は皇居二重橋前。荘重な「君が代」が鳴り響く。神聖な日本国歌を劇映画のBGMに使った例は他にあるんだろうか。そして、軍服で御前会議に臨む明治天皇のクローズアップ。俳優が演じる天皇がスクリーンに登場した初めての瞬間だ。

会議には、伊藤博文山県有朋井上馨山本権兵衛小村寿太郎といった明治政府の大立者が並んでいるが、記号化された「忠臣」でしかない。ロシアの圧力の前に右往左往し、がやがや議論するだけだ。そのなかで、ひとり明治天皇のみが重々しく、あくまでも平和を求める発言をし、一同おそれいってかしこまる。その後の情勢の変化はナレーションですまされ、さあ、いよいよ戦争開始。うちふられる無数の日の丸や、歓呼の声とともに出征兵士が行列を組んで颯爽と戦地へと赴く。

日露戦争の最初のクライマックスは、旅順要塞の攻防戦だ。現在では、乃木将軍の拙劣な指揮のため、おびただしい戦死者を出した評価されることが多い。この映画でも、日本兵が要塞に突っ込んでいっては機関銃でバタバタとなぎ倒されるシーンが続くが、あまり悲壮感はない。撃たれた兵士が、そろいもそろって、胸をはり、右手を大きく天に突き出した姿勢で倒れるからだ。この時代のお約束的な「銃で撃たれて倒れる芝居」のおかげで、安心してこれはフィクションだの楽しむことができる。どうせすぐ生き返って、別の戦争シーンのエキストラをやるんだろう。つまりスポーツと同じだ。「決戦」「激闘」「絶対負けられない戦い」と戦争っぽい比喩で語られることの多いスポーツだが、そこで本当に人が死ぬわけではもない。もちろん、試合中に選手が命を起こすことは稀にあるが、あってはならないアクシデントだ。
むろん、兵士の一人ひとりには、家族もいるし、固有の人生もある。そのこともちゃんと映画では語られる。出生してゆく兵士たちが、家族とともに皇居前広場でお弁当を広げる場面がある。息子を気遣う母親、夫を案じる妻もちゃんといる。だが、命を惜しむ卑怯者は誰もいない。そんなけなげな国民を見て、明治天皇はつぶやく。
「このいくさ、絶対に勝たねば、国民にすまぬぞ」
その次の場面、それまで劣勢だった旅順の日本軍が急に勢いを盛り返す。それまでの苦戦が嘘のように、なんの説明もなく、旅順要塞を陥落させてしまうのだ。無能な乃木に変わって児玉源太郎が指揮をとったからだ、とか、後年の歴史家や小説家はその理由を説明しようとするが、この映画では、そんな小ざかしい理屈は要らない。とにかく、天皇も国民も一体となって戦ったから、たとえその途中で苦戦しようとも、日本は負けない。

それを示す象徴的な場面がある。天長節天皇誕生日)、はるか戦場では将兵が、国内では国民が、日の丸を掲げ、万歳三唱する。皇居の天皇にも、バンザイの声が聞こえてくる。天皇は侍従に言う。
「国民の声が聞こえる……国民の声が聞こえるぞ」
そして、皇居から白馬に乗った天皇が姿を現す。皇居前に集まった国民の熱気はクライマックスに達する。音楽が盛り上がり、天皇は国民に向かって挙手の礼。
天皇を中心に一体となった幸福な国民の姿がそこにある。むろん、同じような風景は、スターリンのロシアでも、ヒトラーのドイツでも、毛沢東の中国でも、金日成北朝鮮でも見られただろう。僕は十数年前、知人に誘われて某新興宗教のイベントを東京ドームに見物に行き、指導者をみじんも疑わず崇拝する人々の集団特有の気持ち悪さを肌で感じたことがある。
むろん、それらの指導者と信者たちの関係は、明治天皇と日本国民の関係とは天と地の差がある。スターリン毛沢東も、あるいは麻原という教祖も、国民や信者が貧しさに耐えているのをしりめに贅沢三昧で醜く太っていた。明治天皇は、夏場でも暑い軍服を脱がず、戦地で戦っている兵士と同じ麦飯を食べておられたのだ。「いや暑いですなあ」「たまりませんなあ」と愚痴っていた伊藤や山県ら重臣たちが、そんな明治天皇のお姿に、文字通り襟をただす場面もある。史実かどうかは知らない。

別に、この映画が描く天皇と国民が一心同体となって勝ち抜いた日露戦争、という戦前神話をそのままなぞったような歴史観を、独裁国家やカルト宗教と同じだと言いたいわけじゃない。むしろ、そういうノリで戦争を語ることは、現在のオリンピックやワールドカップと一緒じゃないか、とそう言いたいのだ。
日露戦争からほぼ100年後の2002年、日本でワールドカップが開催された年、ぼくは一サッカーファンとして熱狂の渦の中にいた。ベルギー戦で先制されながら、鈴木隆行が劇的な同点ゴールを決めた時、ぼくはサッカー仲間と有楽町のレストランでテレビ観戦し、店じゅうぎっしりと埋まった見知らぬ人たちと抱き合って歓びをわかちあった。難攻不落の旅順要塞が陥落したとの知らせが新聞号外で伝えられたとき、日本のあちこちで同じ風景が見られたのではないだろうか。あの頃、日本のメディアは、「ここで盛り上がらなきゃ日本人じゃない」っぽい煽り方をしていた。実際、高いチケットを買って日本各地にワールドカップ観戦めぐりをやったため、借金をこさえてしまった人は何人もいた。
その頃からだろうか、「世界に挑戦する」という形容詞が流行った。サッカーの中田、野球の野茂やイチロー、ゴルフの宮里藍など、海外で活躍する日本人アスリートが、国内の巨人軍や相撲の人気を越えて報道されはじめた。アスリートたち自身の意識はともかく、あの頃の日本はそういう物語を欲していた。日露戦争の三十数年前、近代国家の道を歩み始め、その代償として少なからぬ犠牲を払った日本と同じように。

その後、日本サッカーは、2006年ワールドカップ惨敗を経て、人気は下り坂だ。地域密着を目指すJリーグはそれなりに根付きつつあるが、代表人気は今ひとつ。少なくともあの頃の熱気は感じられない。日露戦争の後、日本国内では払った犠牲の大きさに比べて、あまりにも得られたものが少ないではないかと怒った民衆が暴動を起した。その12年後のシベリア出兵はちっとも盛り上がらなかった。大日本帝国は、新たな物語を求め、ロシアよりも強大なアメリカに挑戦を挑み、惨敗を喫する。
太平洋戦争当時、日本は「鬼畜米英」を唱えて、アメリカを不道徳な国家だとイヤというほど強調した。その反動だろうか、アメリカに敗れた後は、ひたすら追随するのみだ。

この映画では、敵であるロシアは、日本と同様、愛国心にあふれる賞賛すべき相手として描かれる。パーフェクトゲームで終わった日本海海戦では、沈み行くロシア軍艦の兵士たちが、みんなで腕を組みながらロシア国歌を歌いつつ沈んでいく場面が描かれる。それを知った日本側の東郷平八郎司令官は「天晴れじゃ」とつぶやく。明治天皇は、「ロシア兵もまた、日本兵と同様、立派に戦った。ただ、ロシア皇帝の誤った政策で敗北を喫しただけなのだ」と厳かに言う。

スポーツにおいては、卑怯な敵を成敗することよりも、強大かつフェアで立派な敵と正々堂々と勝負して、死力を尽くした結果勝つほうが、感動的に決まっている。だからこの映画では、敵のロシア軍もまた、立派でなければならなかった。
それが史実かどうか、ぼくは知らない。

明治天皇と日露大戦争 [DVD]

明治天皇と日露大戦争 [DVD]