ここまでやってこそ純愛だ!……『ユア・マイ・サンシャイン』(2005年、韓国)

2005年 韓国
監督=パク・チンピョ 出演=チョン・ドヨン ファン・ジョンミン


昔、『ウィーク・エンダー』という深夜のテレビ番組があった。男と女の情痴事件を紹介する番組だったが、なかでも事件をドラマで再現するコーナーがあった。なんせ情痴事件の再現だから、女性の裸が見られるというので、思春期真っ盛りのぼくらは親に隠れてイヤホンで音を消し、息を呑んで画面を見つめたものだった。裸が出てくる時もあれば出てこない時もあった。出てきた翌日は、友達同士で、見た?見た見た!すごかった!と盛り上がったものだった。ある時の再現ドラマで、純情一途の独身中年男が、仕事仲間に誘われて入ったソープランドソープ嬢にのぼせあがってストーカーになり、嫌がられた逆恨みに殺してしまった事件が取り上げられていた。ジャガイモみたいな愚直な顔をした小太りの男の破滅していくさまに、ああはなるまいと心に誓ったり、ひょっとしたら自分もあんな大人になるのかなと危惧したり、心千々に乱れ、ソープ嬢に扮した女優さんのヌードよりも、心に刻み込まれてしまった。

前置きが長かったけれど、いわゆる純愛モノ映画に数えられる本作の主人公は、ひとつ間違えば、上に書いたソープ嬢殺しの犯人になってもおかしくないような男である



純愛モノは苦手なジャンルのひとつだ。
冬のソナタ』以来、韓流ドラマといえば「(ベタな)純愛」というイメージが強い。正直、そういう偏見はぼくにもあって、だから、ぺ・ヨンジュンらいわゆる韓流四天王出演映画は食わず嫌いなところがある。まだ韓流ドラマは、「韓国人って平気でこういう超展開なご都合主義をやるんだなあ」「文化が違うんだからしょうがないよな」と面白半分に観ることもできるが、日本のドラマになると、もういけない。「ンなわけねーだろ!」と腹が立ってくることが多い。だから、映画を選ぶ際も、どうしても「純」とか「愛」というキーワードが出てくるものは避けるようにしている。

この映画は、実は純愛ものとは知らずに観た。『シークレット・サンシャイン』でカンヌ映画祭主演女優賞を受賞した韓国の名女優チョン・ドヨンHIV患者に扮するというので借りたのだった。
チョン・ドヨンは、確かな演技力の持ち主だが、彼女くらい幸薄い役の似合う女優はいない。同じく幸薄い役が似合う女優さんに木村多江というひとがいるけれど、世の中を諦めたような淡い風情の木村さんに較べると、チョン・ドヨンの場合、幸薄いマスクの下に、人一倍強い情念を感じさせる容貌の持ち主だ。その彼女がHIV患者になるというだけで、どんなドロドロの情念劇が展開されるか、期待してDVDを借りた次第である。


見終わった後、ネットで様々なレビューを見て知ったのだが、この映画はどうやら日本公開当時、「純愛もの」として宣伝されたらしい。主人公の一途な愛に心打たれました、というようなレビューも目に付く。ぼくは「純愛モノ」はほとんど食わず嫌いで見ていないから、世間で言う「純愛もの」のカテゴリーに入れてよいのかどうか分からないが、少なくとも映画を観ている間は、どう考えても「純愛もの」とは思えなかった。というのは、この映画に出てくる設定や場面が、「冬のソナタ」や「セカチュー」とは違って、かなりシビアでハードだったし、主人公の一途な愛とやらは、むしろ「執着」に近いものじゃないかと思えたからだ。


舞台は、とある田舎町。チョン・ドヨン扮するヒロインのウナは、ある茶房に勤めている。肩を出した超ミニスカート姿が、のんびりとした田園風景にどこかそぐわない。茶房(タバーン)というのは、要するに喫茶店のことだが、ただの喫茶店勤めにしては、露出度の高いセクシーな衣装。それもそのはず。この茶房は夜になるとカラオケスナックに早変わり。すなわち、彼女はホステスさんなのだ。それだけではない。ラブホテルからコーヒーの出前が来る。出前にいった先には男が一人で待っていて、もちろんコーヒーのみならず、体も提供することになる。「昼は売春婦、夜はホステス」で稼いでいる女性なのだ。



そのウナに惚れてしまったのが、牧場で牛を飼っているソクチュン(ファン・ジョンミン)。前防衛庁長官石破茂氏に似た、はっきり言えば誠実そうだが鈍くさそうな顔だち。もう36歳だが独身でまったく女っ気がない(演じるファン・ジョンミンは、役作りのため15キロ太ったそうだ)。日本でもかつて、嫁の来手のない農村にフィリピンから花嫁を迎えることが流行ったけれど、韓国も似たような状況らしい。ソクチョンもフィリピンやベトナムで嫁探しをするという怪しげなツアーに参加したが、空振りで帰ってきた。
そのソクチュンが、友人に誘われて入った茶房兼スナックで、ウナと出会う。
超がつくほどの純情中年男子で、ホステスさん相手に何喋っていいか分からずもじもじする彼を、そこは商売、ビジネススマイル満面でからかったり、触ってあげたりするウナ。翌日、ホテルへの「出前」まで予約させられてしまう。いざベッドインとなっても、「いやその、何もしません。あなたが忙しそうなので、休憩させてあげないと、なんて思って……」としゃっちょこばってる彼をいいことに、「じゃあ、お言葉に甘えて」とベッドに入り、それだけじゃかわいそうよね、とばかり「腕枕して。そのほうが眠れるから」と甘えてみせるウナ。生まれて初めて二日続けて(母親以外の)女性とスキンシップをもってしまった(んだと思われる)ソクチョンはもう大変。男の純情魂に火が付いてしまう。

すっかりウナのとりこになった彼は、足繁く茶房に通い、店の看板の掃除をしたり、自分ちで飼っている牛のしぼりたての牛乳をプレゼントしたり(薔薇の花を添えるところが、ますます気色悪い。ソウルから流れてきた商売女のウナにとっては、いいカモだが、だんだんうざくなってくる。「あんた、あたしの好みじゃないわ。つきまとわないで」と通告され、それでもソクチュンはウナを追い回す。これじゃ純情男じゃなくてストーカーじゃん、と思ってみていたら、「これじゃストーカーじゃない!」とソクチュンをウナがなじる場面もちゃんと入っていた。ついにソクチュンは、ウナがホテルに「出前」の最中、その玄関の前で待ち伏せるようになる。ホテルから出てきたウナに、貯金をおろしたお金を見せ、「これで借金を返して、仕事から足を洗ってほしい」と懇願する。「馬鹿にしてんの!」とソクチュンをひっぱたくウナ。

ひとつ間違えば、冒頭に書いた『ウィークエンダー』のソープ嬢殺しの犯人への道まっしぐらな展開になってもおかしくない、滑稽で情けない男の姿がこれでもかこれでもかと描かれるのだが……。

ある日、ウナは「出前」の客から、殴る蹴るの暴行を受けた。昏睡状態で病院に運ばれたウナを、ソクチョンは必死で看病する。彼女は結婚歴があり、相手の男はアル中のDV男だった。辛い思い出が蘇ったとき、そこに、風采はあがらないけれど、優しく尽くしてくれる男がいる。殴られて無惨に腫れ上がった顔を、「世界一、かわいいです」とせいいっぱい慰めてくれる男が。ついに、ウナはソクチョンを受け入れる。初めてラブホテルに入った時、ウナがシャワーを浴びる間、下着姿で腕立て伏せをするソクチョンがおかしい。
そして二人は結ばれる。

ここまでが前半部分だが、この場面描写が結構ハードなのだ。ウナは商売柄しょっちゅう下着姿になる。客からパンツは何色だと聞かれ、水玉よ、と言いながらスカートの前をはだける場面もある。客から暴行される場面では、ビール瓶で頭を殴られ、床が血の海になる。前夫のDV男が彼女を辱めながら「お前はおれのもんだ!」と叫ぶ。単に計算高い水商売女にしか見えなかったウナの悲劇的な背景が明らかになっていく。

一方のソクチョンは、対照的に喜劇的存在だ。ウナからもらったハンカチを嗅ぎながら自慰に耽るシーンがある。彼の純情さは、女を知らない童貞少年のそれとたいして変わらない。ただ、もてなかったため、童貞精神をこじらせてしまっただけのようにも見える。それでいて、性欲だけは人並みにある。こうなると、ソクチョンの一途な愛とやらは、単に三十半ばで異性関係に恵まれない独身男の妄執にすら見えてくる。愛と肉欲は、紙一重だ。

だから、ソクチュンのウナへの思いが、本当に「純愛」なのかどうかは、映画の後半、彼女がHIVに感染していたことが分かってからの、ソクチュンの行動如何にかかってくる。

ウナは商売柄、保健所で定期検診を受けていた。保健所の医師に呼び出されたソクチュンは、ウナがHIVに感染していたことを告げられる。ウナはそのことを知らない。ウナに伝えることができず苦悩するソクチュン。飲めない酒を呑んで遅く帰宅することが増える。さらに、ウナの前夫までが現れ、金をゆする。冷え切った夫婦関係に耐えられず、ついにウナは失踪する。


ソクチュンは必死にウナを探すが、見つからない。諦めた頃、思わぬ形でウナの消息が届く。彼女は、HIVに感染していながら売春宿で働いていた罪で、裁判にかけられてのだ。事件はマスコミにも注目され、ソクチュンのもとにも取材が来る。あんなアバズレ女ほっとけ、さもなきゃ絶縁だ、と家族は迫る。だが、ソクチュンはウナを諦められない。

彼女が自分の前から消えた時、彼は必死でウナを探した。それは、彼女を愛していたからなのか、せっかくゲットした嫁を手放したくなかっただけなのか、明らかではない。だが、彼女が犯罪者となってしまった今は違う。もしあの時、彼女がHIVであることを告げていたら。治療に専念させていたら。彼女は罪に問われずにすんだはずだ……。後悔の念が、ソクチュンの思いを強くする。

「純愛」が成立するには、さまざまな条件が必要なのかもしれない。美男美女の「純愛」ドラマのそらぞらしさは、たとえば、ヨン様妻夫木聡が、どう考えても彼らが一人の女性に執着する必然性がなさそうなことが大きい。だから、どう見ても女にもてない男のほうが、一人の相手を一途に追い求める可能性は高いだろう。
で、女のほうは? いくら相手が一途でも、魅力的でない男性を受け入れるはずがない。女の側に、それなりの事情がなければなるまい。そして、その「事情」が、性に関わることであれば? いくらもてない男でも嫉妬心は持っている。自分の女が、他の男に抱かれたという事実に、引っかかりを覚えない男はいない。
恋愛は、ややこしい。

この映画は、深作欣二監督の『蒲田行進曲』を連想させる。映画スターの風間杜夫から、愛人の松坂慶子を押しつけられた付き人の平田満。目の前で、松坂慶子を押し倒して強引に犯す場面を見せつけられながらも、平田満は大スターの命令に逆らえない。最初、けばけばしい厚化粧に赤いドレスで登場した松坂慶子は、一途に尽くしてくれる平田満を受け入れ、やがてかいがいしく可愛い女房になっていく。
この映画のチョン・ドヨンもまた、前半の蓮っ葉な商売女から、可愛い奥さんにかわっていく。彼女がHIVに感染したことを告げられず、夜の町を飲み歩く夫を待ちながら、冷麺や巻き寿司のごちそうをつくって待っている彼女の姿は、切ない。その後、再び売春婦に身を落とし、ついに囚人として刑務所に入ってからも、彼女の愛らしさは失われることがない。なぜなら、彼女は愛されているという手応えを感じているからだ。愚直で不器用で何もできないけれど、「愛してくれる」人がいるだけで、彼女は、誇りをもって生きていける。

ちなみにこの映画、実話に基づいているという。絵空事でない「純愛」は、確かに実在するのだ。


ユア・マイ・サンシャイン (X文庫スペシャル)

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蒲田行進曲 [DVD]

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