犬は飼うものか、喰うものか……『ほえる犬は噛まない』(2001年 韓国)

2001年 韓国
監督=ポン・ジュノ 出演=ぺ・ドゥナ イ・ソンジェ


レンタル落ちのDVDを入手して見たのだが、これだけ羊頭狗肉なキャッチコピーは久しぶりに見た。ジャケットには大きな文字でこんな宣伝文句が書いてあったのだ。
「とびっきりキュートで、ちょっとシュールなエンターテインメント・ムービー!!」
まあ、嘘ではない。確かにヒロインのぺ・ドゥナとびっきりキュートだ。シュールなシーンもなくはない。何より、みんな大好きなキュートなワンちゃんも三匹出てくる。でもね、その三匹のワンちゃんがこの映画でどんな目にあうか、教えてあげようか?(気の弱い人は読まないでね)

1匹目。地下室に閉じこめられた挙げ句、喰われる。
 2匹目。屋上から放り落とされる。
 3匹目。肛門から串刺しにされ、焼かれそうになる
。」

はい、犬好きで、この映画を見る気になった人は手を挙げて!

こんな映画を「ブラック・コメディ」なんてありふれたジャンルにはめこまず、「エンターテインメント・ムービー」と表現したところに、キャッチコピーを書いた人の良心が窺える。一応、体裁はコメディだけど、連続殺人鬼のミステリーや、モンスターパニック映画でさえ、喜劇的な要素をちりばめずにはいられなかった鬼才ポン・ジュノのこと。単純にジャンル分けできる映画を作るはずがない。実際、可愛い犬が”ひどい”目にあうことへの拒絶反応さえ乗り越えてしまえば、作り手が決して、残酷さを弄んでいるわけではなく、緻密で無駄のない脚本にこめられた奥深い「問いかけ」に気づくはずだ。

ソウル市内のある巨大な団地で、飼い犬が次々と疾走する事件が起こる。一応ペットは禁止されているのだが、飼い犬が行方不明になった家族は、捜索願いのチラシをつくって、団地の管理事務所にハンコを貰いにくる。ハンコがないと敷地内に貼り紙をしてはいけないからだ(このあたり、韓国人の遵法意識はいい加減なのか律儀なのか、よくわからない)。
管理事務所の受付嬢(ぺ・ドゥナ)も、さして疑問も抱かず、ハンコを押し、貼り紙を手伝ったりする。「ワンちゃんが見つからないと、生きていけない」と言う被害者に同情したからだけではない。
彼女は、退屈な日常生活に飽き飽きしている。映画の冒頭、「あーあ、今日もまた、つまんない一日が始まって、何も起こらないで終わるんだろな」と言わんばかりのふくれっつらの彼女が電車に乗るシーンがある。お年寄りに席を譲ることで、小さな親切で欲求不満を解消しようとする彼女に、お年寄りはつれなく拒否する。「何よ!」と彼女はさらにふくれっつら(ぺ・ドゥナくらい、ふくれっつらを自然に、しかし魅力的に表現できる女優さんって、少ないと思う)。
折しもテレビでは、強盗に勇敢に応戦した銀行の窓口嬢が警察から表彰される様が話題になっている。あんなふうに私も、メディアで英雄扱いされたいな。そんな彼女にとって、勤めている団地で起こった飼い犬失踪事件は、退屈な日常から抜け出せるきっかけになるかもしれなかった。

受付嬢の奇妙な冒険が始まる。偶然「犯行現場」を目撃した受付嬢は、黄色いヨットパーカのフードで頭を覆って走り出す。犯人を追いかけ、団地の狭い通路を走る走る。走った挙げ句にドアが開いて正面衝突し、犯人を取り逃がす。このあたりの体をはったギャグは、コメディエンヌとしてのぺ・ドゥナ様がまさに本領発揮だ。

結局犯人を取り逃がし、あまつさえ飼い主ががっくりして亡くなってしまったことを知った彼女は落ち込む。落ち込んで飲めぬ酒をかっくらい、酔っぱらって停めてあった車のドアミラーをひきちぎろうとする(高級車のドアミラーを破壊する行為は、持たざる者の持てる者への八つ当たりとして、『母なる証明』にも登場するポン・ジュノ御得意の場面だ)。むろんできるはずもない。だが、プロレスラーのような体型の彼女の友人が、跳び蹴りでドアミラーをへし折ってくれる。その後、二人は電車で家路に着く。友人にもたれ悲しげな顔で寝入る彼女の表情が切ない。あたしなんて、どうせ何やってもダメ。がんばればがんばるほど空回りする彼女を、プロレスラーのようにおっかない外見の友人は、優しくあやす。いいシーンなんだけど、ぺ・ドゥナがぎゅっと抱きかかえているのは、さっきへし折ったドアミラーだったりするんだよね。

とまあ、ぺ・ドゥナの出演シーンだけ見れば、確かに「とびきりキュート」なんだけど、この映画には後二人、ある意味で陰惨な主人公的存在がいる。

一人は、大学の非常勤講師(イ・ソンジェ)。非常勤講師が薄給なのはわが国と同様らしく、年上の奥さんに養ってもらってるヒモ同然の男。自然、家事は彼の受け持ちだ。その奥さんのお腹には子どもがいる。マタニティーブルーに加え、ある事情でストレスが溜まってる奥さんは、稼ぎのない亭主をアゴで使っている。なんとか大学教授のポストを得て、見返してやりたい。だがそれには、学長に高額の賄賂を贈らなければならない。お金は思うように集まらない。おとなしい彼は、そのイライラをぶつける相手として、ペット禁止のはずの団地できゃんきゃんわめいてる犬をターゲットにするのだ。
そんな彼のカラオケでの愛唱歌が例のアニメ『フランダースの犬』の主題歌だったりする(パトラッシュと歩いた〜♪)。
彼は、ひたすら勉強一途に生きてきた。だが、世間は、懸命に一つのことに打ち込んできたというだけで認めてくれるほど甘くはない。権限を持っている人間に気に入られなければ出世できないことは、世界的に普遍の真実だ。その世間の壁の前で、ナイーブな彼はひらすらストレスを募らせている。

もう一人は、ベテランのビョン・ヒボン演じる団地の老警備員。朝鮮戦争、軍部独裁、度重なるクーデター、民主化デモ、そうした流血沙汰を生き抜いてきた彼は、疲れが深い皺となって顔に刻まれていて、そのぶん人生に理想を抱くことのばかばかしさを熟知している。正義感など世間の壁の前ではなんの意味もないと、嫌というほど悟らされてきた、そんな風貌だ。
人生はつまらない。つまらないけれど、そんな人生に楽しみを見いだすしかないじゃないか。それがたとえ、世間的には違法だったり、ひんしゅくを買う行為であったりしたとしても、それがどうした。ばれなきゃいいのさ。

そんな開き直りの中で、したたかな笑顔を浮かべて生きている彼の楽しみは、夜中、人の立ち入らない地下室で、鍋を作って食べること。実は、行方不明になった犬のうち一匹は、彼のお腹のなかに入っていたりする。犬鍋を食べようとするところを危うく警備主任に見つかりそうになった彼は、主任を追い出そうと、怪談をでっちあげる。
「この地下室は夜中になると、変な声がするんですよ。この団地は、1988年に建てられました。当時は手抜き工事が多かった。地下室のボイラーが調子悪いので、伝説的なボイラー修理工ボイラー・キムをやとった。彼はたちどころに直したけれど、手抜き工事をばらそうとしたので、ここで殺されたそうです。だから、夜になると彼のお化けが出るんですよ」

1988年といえば、ソウルでオリンピックが行われた年だ。当時の韓国は、軍事独裁政権の下、驚異的な経済成長をとげた。オリンピックはまさに、伸びゆく韓国を世界に宣伝する一大イベントだった。建設ラッシュが起こったが、当然、手抜き工事が多く、そうした建造物が90年代に入って多くの事故を引き起こしたのだが、同時にオリンピックは、韓国特有の生活習慣を大きく変えることにもなった。
そのひとつが、犬を食べることである。

古来、朝鮮半島では犬を食べることは、日本人がクジラを食べてきたのと同様、当たり前の習慣だった(日本でも、韓国人街などで犬を食べさせる料理屋があると聞く)。だが、オリンピック開催を契機に、韓国政府は犬食を禁止する。欧米から野蛮視されるのを避けるためだが、何千年も続いてきた風習が一朝一夕に変えられるはずもない。実際、現在でも年間200万頭の犬が食べられているという統計がある。当然、犬食を出す店は非合法だから、衛生上の問題が少なくない。結局、韓国政府は犬食を合法化せざるを得なくなったが、韓国の動物保護団体はそれに反発して、反対運動を繰り広げられているらしい。

そういう背景をもとに、この映画を見てみよう。韓国人にとって、犬は心の友でもある。小学生の女の子は「犬が見つからなかったら、わたし、死んじゃう」とつぶやく。犬だけが唯一の身よりである老婆もいる。だが、この団地で犬を飼うことは禁じられている。
一方、老いた警備員にとって、犬は食い物だ。韓国人は何千年も犬を喰ってきた。今更、外国人から批判されるからといって、喰うのをやめろというのも理不尽な話じゃないかというのは、捕鯨を批判されている日本人にとっては理解不可能な言い分ではないはずだ。
だが、犬を飼うことも、犬を喰うことも、どちらも「違法行為」であることに変わりはない。

さらに言えば、犬の存在が許せないという人だっている。「フランダースの犬」を愛唱する非常勤講師がそうだ。ぼくは、マンションの管理組合の組合長をやっていたことがある。最初、そのマンションはペットを飼うことは許可されていたのだが、一部の住民が、ペットを禁止にしようと言い出した。ある住民は、一階上の住民が飼っている犬で本当に迷惑していると訴えてきた。その人の部屋を訪れて苦情を聞いていると、急に彼女は「ほら、また音がしてる。きこえるでしょう」と天井を指さした。ぼくにも、同席した管理組合の委員にも、何も聞こえなかったのだが、要するに彼女は病的な犬嫌いで、自分の頭上に犬がいるということ自体が許せなかったらしい。

そういう経験を踏まえてこの映画を見ると、面白いことに気づく。ぼくが住んでいた団地では、犬をめぐるトラブルがあると、管理組合に苦情が持ち込まれた。だが、この映画の団地住人は、決して管理事務所を頼ろうとはしない。飼い犬が行方不明になった住民は、自力でチラシを貼って探そうとする(受付嬢がやることは、そのチラシにハンコを押すだけだ)。犬で迷惑をこうむっている住民は、自力で犬の存在を消し去ろうとする。
『グエムル』の項でも書いたが、韓国人は、軍隊とか警察とか、自分たちを守ってくれるはずの機関を基本的に信じていない。いざとなれば自力で戦うしかない。お上の決めたルールを愚直に守ろうとする日本人とは違うのだ。

とはいえ、多様な人間が集まる社会において、他力本願で生きていようと、自力で生きていようと、そこに軋轢が生まれ、ストレスが溜まっていくのはどちらも同じだ。ストレスに負けて心を病むか、世知辛い世間を生き抜く知恵をつけてずるがしこく立ち回るか、二者選択を迫ってくるのが世間という奴。そこに日韓の違いはない。

だからこそ、愚直に正義を貫こうと愚直に走り回るヒロインの存在がまぶしく見える。

受付嬢が三匹目の犬を救おうと、屋上で犯人(の一人)と対決する。果たして自分にできるだろうか。いや、ここでがんばるしかないんだ。亡くなったおばあちゃんのためにも、そして何より、私自身のためにも。私は英雄になる。そしてテレビに出る!
彼女の背後で、大勢の、黄色いヨットパーカを羽織った人々が、紙吹雪をまき散らし、ウェーブを作る。幻のウェーブを背景に、彼女は走り出す。

走り出した結果……、待っているのは、束の間の勝利と、苦い敗北だった。
鬼才ポン・ジュノが、誰でも心暖まるハートウォーミングなハッピーエンドを用意してくれてるはずがない。事件を通して主人公たちは、大事な何かを手に入れると同時に、大事な何かを失う。それでいて、見終わった後に観客が得られるのは、不思議な爽快感だ。

誰も助けてくれない。それを心得ている社会の人間は、強い。


ほえる犬は噛まない [DVD]

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