真人間に戻るため、男は血を流す……『チェイサー』(2008年、韓国)

2008年 韓国
監督=ナ・ホンジン 出演=キム・ユンソク ハ・ジョンウ


この映画を、日本で作ったとしたら、どういうキャスティングになるだろうな、とふと考えた。
現在日本ではありえない。元刑事か犯人役かどちらかにジャニ系がキャスティングされる。たぶん狂気じみた目つきだけが取り柄の仲居くんだろうが、あのいい年をしてガキっぽい声が、映画をお子様ランチに堕落させるだろう。もちろん暴力描写は御法度。テレビ放映できなくなるから、血は一滴も流れない。タレントたちの服が汚れることもない。つまらん。
もしありえるとしたら70年代だ。監督はもちろん、深作欣二大先生。落ちぶれた元刑事には文太兄ィ。犯人役は岩城晃一か松田優作か水谷豊。薄幸の娼婦は……誰でもいい、深作さんなら、絶対にきれいに撮れる。んで、刑事役に室田日出男とか川谷拓三とか志賀勝とか、刑事なんだかやくざなんだかわかんないメンツを揃えて……。

2006年公開の『グエムル 漢江の怪物』の評判をネットでチェックした。好意的な意見も多かったが、韓国のくせに日本の怪獣映画を変な形でぱくるんじゃねーよみたいな先入観優越感丸出しの意見が目についた。だが、2009年に日本公開されたこの映画では、素直に「韓国映画、馬鹿にできねー」「人気優先キャスティング、説明過多で大甘な邦画は完敗」という意見が目につく。
別に韓国を持ち上げて日本をおとしめたいわけじゃない。少なくともかつての日本映画にあった熱気が失せ、一方で韓国ではかつての日本映画界が持っていたような熱を帯びつつあるんだなあ、と改めて思い知られただけだ。

2004年、実際に韓国で起きた猟奇連続殺人事件がモデル。主人公は元刑事だったが、今は娼婦の派遣業(日本でいうところのデリバリーヘルス)で喰っている。大都会ソウルの底辺で生きる最低男。彼に雇われている娼婦たちが次々に行方不明になる。誰かが誘拐して売り払っているのだろうと思い、元刑事の腕前をいかして独自に探し始める。やがて、一人の男にたどりつくが、それは連続殺人鬼だった。

映画の最初のほうで、殺人鬼はあっさりと捕まる。捕まって、あっさりと「自分が殺しました」と白状する。白状するが、警察は彼をどうにもできない。証拠がないからだ。やはて殺人鬼は釈放される。

殺人鬼は、一人暮らしの老人が住んでいたソウル市内の豪邸を根城にしていた(元の持ち主はむろん、殺された)。娼婦を買っては、地下室に監禁し、ハンマーで撲殺する。性的不能な彼にとって、女性の頭部にハンマーを打ち込むのは、セックスの代償行為なのだ。ただ一人、最後に誘拐した娼婦だけは、地下室で生きていた。映画は、果たして元刑事が彼女を救えるかどうかをめぐり、観客が手に汗を握ることになる。

ある意味、この映画は、『グエムル 漢江の怪物』の怪物を猟奇殺人鬼に置き換えたような話だ。あの怪物も、下水溝にさらってきた人間を(死体をふくめ)ため込んでいた。そのなかで、なんとか生き残った女子中学生とホームレスの少年を救えるかどうかが、ストーリーの中核だった。軍隊や警察といった国家機構がアテにならず、主人公が孤独な戦いを強いられるところも似ている。もっとも、この作品にはポン・ジュノ監督のブラックユーモアな味わいはなく、ただひたすら直球勝負である。娼婦を取り戻すために、元刑事は走る。殺人鬼も走る。アジアらしい湿気に満ちた狭い路地を走り回る。暴力も辞さない。殴る、蹴る、パイプいすを脳天にぶちこむ。銃器はつかわれないが、ありとあらゆる暴力に満ちあふれた世界。


そんな過酷な世界の片隅で、息をひそめるようにして生きていた、さらわれた娼婦の寄る辺なさが、身にしみる。

誘拐された娼婦は、幼い娘と二人暮らしだった。その日、風邪を引いていて、「客をとれ」と命ずる元刑事に「休ませて下さい」と懇願したのだが、聞き入れられず、思わぬ悲劇に見舞われるのだ。あるきっかけから、彼女の娘を預かることになった元刑事。その娘はなかなかませていて、鉄仮面のような無表情で減らず口をたたく。かわいくないガキだ、と元刑事もうんざり顔だったが、やがて母親が殺人鬼にさらわれた事を知ってしまった娘が、始めて見せた子どもらしい表情に、次第に人間性を取り戻していく。

俺はなんてことをしてしまったんだ。あのとき、風邪を引いているという彼女を休ませていれば、こんなことにはならなかった。俺は、なんとしても彼女を救い出さなければならない……。
そう、この映画は、社会のダニとして生きていた男が、罪を償うことで、立ち直っていくという物語だ。殺人鬼を、警察を敵に回し、彼は戦う。人を傷つけ、自分も傷つき、それでも彼はやらねばならない。
韓国らしい味の濃すぎる演出も目に付くが、キャラクターの設定や俳優の演技はむしろ抑え気味。特に、社会のダニ的な存在だった主人公が、いつしか良心を取り戻していくプロセスが、これみよがしな改心シーンなどなく、自然に描かれているのが素晴らしい。

そして、『グエムル』と同様、物語は観客の願いを無惨に踏みにじりつつ、ちゃんと救いを描いて終わる。

↓予告編