1960年 新東宝
監督=小森白 出演=天知茂/北沢典子/細川敏夫/沼田曜一


関東大震災直後の朝鮮人虐殺」「大杉栄虐殺」を描いた日本映画というだけでも貴重な一作。たぶん、今後も二度と作られることはないだろう。
主役は天知茂。テレビドラマ「非常のライセンス」や「明智小五郎シリーズ」で主役を張る前は、爬虫類系の悪役を得意とした人だ。新東宝の「天皇・皇后と日清戦争」では李鴻章を狙撃した壮士、「皇室と戦争と我が民族」では終戦を阻止しようとして近衛師団長を暗殺する青年将校の一人、と実在の暗殺者を演じている。この映画では、その天知茂が若きテロリストを演じているのだ。近代史なかんずく戦前のテロ事件が大好きなぼくにとっては★★★★クラスの快作だ。
かつてVHSビデオで発売されたが、今は廃盤でDVDは出ていない。大泉学園駅前のサンセットというレンタルビデオ屋に置いてあるので、近くの人はそこで借りてください。

話はいきなり、大正12年9月1日の関東大震災から始まる。CGなんてない当時のことだ。セットが燃え、エキストラが必死に逃げ回る。倒壊した建物の下敷きになった母親が、赤ん坊だけでも助けてほしいと見知らぬ人に差し出す場面などは、結構迫力がある。
続いて、朝鮮人が井戸に毒を投げたというデマが走る。自警団が通行人をつかまえ、こいつは怪しいとばかりリンチにする場面もしっかり描かれる。つづいて、官憲が朝鮮人社会主義者をかたっぱしからひっくくる。ひっくくった朝鮮人が、警察の庭に並べられ、つぎつぎ銃殺される。「おかあちゃん怖いよう」という悲鳴も聞こえるから、子どもも容赦なく殺しているらしい(映像でははっきり映されていない)。さらに、数百人の朝鮮人を、釈放するとだまして河原で解放し、機関銃で全員薙ぎ倒す。まさに大虐殺だ。

そして大杉栄暗殺。見るからに狂信的な軍人・甘粕憲兵大尉が、温厚で知的な大杉栄をみずから絞殺する。つづいて、大杉の愛人・伊藤野枝や、幼い甥っ子までが殺される。甘粕は一応軍法会議で裁かれるが、三人も殺しておいて禁錮10年だった。ちなみに、大杉栄を演じているのは清潔なインテリ役を得意とした細川俊夫、甘粕役はデモニッシュな悪役ばかりやっていた沼田曜一。実に善玉悪玉はっきりしたキャスティングだ。こうしてこの映画では、戦前日本の残虐さがこれでもかこれでもかと強調される。

ここでちょっと当惑せざるを得ないのは、この映画を作ったのが新東宝だということだ。新東宝についてはこちらを参照してほしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%9D%B1%E5%AE%9D
当時の大蔵貢社長は、明治天皇が大好きで、「明治天皇と日露大戦争」という、明治天皇を大賞賛した美談仕立ての戦争映画でヒットを飛ばし、「反動的」とレッテルを貼られた。そんな大蔵貢社長(すべての新東宝作品のクレジットに制作者として名前を出している)の下で、よくぞこんな映画が作られたものだと感心させられる。
もっとも、新東宝には「憲兵シリーズ」があった。「憲兵とバラバラ死美人」だの「憲兵と幽霊」だの題名を見るだけでゲテモノとわかるジャンルだが、極悪非道な憲兵による拷問シーンが売りだ。「明治天皇と日露大戦争」で描かれた明治日本は、英明な君主の下、政府高官も兵隊さんも民草も一体となって国難に当たるユートピアが描かれた。それが大正に入ると一転、暗黒の時代になるのは、あるいは玉座に就かれていたお方が、脳を患われ君主としての責務を果たせない状態にあったからだろうか?

で、天知茂
彼が演じるのは大杉栄の弟子である。尊敬する師を殺した軍閥への復讐を誓い、同志とともに爆弾テロを計画する。
この主人公にはモデルがいて、ギロチン社なる反政府グループを組織していた古田大次郎という青年である。
http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/news-bunkokutom.html
テロ資金を稼ぐため、天知たちは強盗を企てる。現金を運んでいた銀行員を匕首で脅し、「革命のためだ。おとなしく金をよこせ」と要求するが、眼鏡をかけた実直そうな中年の銀行員は現金の入ったトランクを抱えて放さない。もみあううちに、天知は銀行員を刺殺してしまい、動転のあまり現金をほったらかしにしたまま逃げてしまう。人を殺してしまったと後悔する天知を、仲間の一人が「革命の犠牲だ。仕方ないさ」と慰める。

その後いろいろあって爆弾入手に成功した天知は、自分へのご褒美というやつか、キャバレーで豪遊、同席したホステスさん(当時の呼び名は女給)に気に入られ、彼女のアパートにご招待され、童貞を捨てる。ところがふと見ると、壁に黒縁の写真が飾ってある。自分が刺殺した銀行員だ! 「ああ、あれ、おとっつぁんよ」とホステスは、あたしも昔はちゃんとした家の娘だったのにさ、お父さんが何者かに殺されちゃってから貧乏になって、今じゃこんな始末さ、と恨み節。罪の意識に耐えられなくなった天知は、手持ちのお金を全部彼女に押し付けて飛び出していく。


映画関連のブログを見ると、この天知と銀行員の娘とのエピソードは、「とってつけたよう」とか、「話ができすぎ」とかあまり評判がよろしくないのだが、ぼくは結構感動した。というのは、天知演じる主人公のモデルとなった古田大次郎が獄中で書いた手記を興味深く読んだからだ。
だいたい反体制グループといっても、世間に不満を持つ無職の若者の集まりだ。お金を援助してくれるところもない。仕方ないから企業を回って「リャク」をやった。機関紙に広告を載せてくれ、とかそんな名目で金を要求する。要するに恐喝である。民衆を救うためと高い志をもって革命運動に身を投じたのに、やってることは生活費を稼ぐための恐喝だ。革命なんていつ実行できるか見当もつかない。そんな出口のない日常の突破口となるのが、テロだ。こうして古田たちは銀行強盗に走る。相手を死なせてたうえ、お金をほったらかして逃げた顛末は、実際の事件のとおりだ。
古田の手記は、若者がテロに走る動機の一例として興味深いが、不快なのは、手記のどこにも、罪もない銀行員を殺してしまったことへの反省がないことだ。脚本家は当然、その手記を読んだだろう。せめて映画の中ででも、自分のやったことの重さを思い知らせたかったのではないか。
確かに当局のやり方はひどい。だが、そんな当局に反旗を翻す者もまた、霞を食って生きられるわけではない以上、ある種の腐敗からは逃れられない。天知と銀行員の娘のエピソードは、そんなパラドックスを映画的に描き出した名シークエンスだと思う。

天知は独り海岸で思い悩む。民衆のために平等社会を作り上げるため、とか口では言ってみても、自分のやったことは、罪もない実直な銀行員を死なせ、その家族を不幸にしただけじゃないか。彼には相思相愛の女性がいる。大学時代の先輩の妹だ。彼女は、自分が革命運動から足を洗ってくれることを望んでいる。もうやめてしまおうか……。
そこに知らせが飛び込む。同志の一人が逮捕され拷問の果てに死んだ。もう許さぬ! 軍高官の会議が開かれることを知った天知は、爆弾を手に、民衆を弾圧する軍閥のボスどもを皆殺しにすべく、電気修理工に身をやつして陸軍省に乗り込んでいく――。

愚かといえば愚かだ。軍高官を何人殺害しようが、かわりに別の軍人が昇進するだけであることは、後の2・26事件が証明している。だが、そうする以外、彼は行き場所がなかったのだ。人を殺してしまった自分が、愛する女性と結婚して幸せな家庭を築くなど許されない。やるしかないのだ。たとえ蟷螂の斧なりとも、権力にむかって振り下ろし、自分がやってきたことの痕跡なりとも歴史に残したい……。
そんなテロリストの精神の軌跡を、やや通俗的な構成ながら、よく描いた作品だと高く評価したい。翳りのあるマスクで、眉間の縦皺に苦悩を浮かべる天知茂は、まさに適役だ。安っぽいモノクロフィルムの、ざらざらした質感が、テロリストの荒んだ精神世界とマッチしているのもいい。