1960年 新東宝
監督=小森白 出演=嵐寛寿郎/三ツ矢歌子/宇津井健天知茂菅原文太


昭和天皇を主役とした映画といえば、ロシア人のアレクサンドル・ソクーロフ監督がイッセー尾形主演で制作した『太陽』(2005年)が評判になったが、さすがに日本史上初めて、天皇を主役に映画を作ってヒットさせた新東宝だ。その35年前に、知られざる昭和天皇が主役の映画を製作していたのだ!

もっとも、画面に俳優演ずる昭和天皇が登場することは一度もない。明治天皇を役者に演じさせるという当時としては破天荒なことをやってのけた大蔵貢率いる新東宝ではあるが、さすがに当時ご存命だった昭和天皇に芝居をさせることははばかられたようだ。にもかかわらず、この映画の主役は昭和天皇なのである。昭和天皇の動向を中心としてストーリーが展開していくのだ。それなのに、主役はスクリーンに姿を見せない。そんな映画がありえるのか。
ありえるのだ。

明治天皇と日露大戦争』(1957年)で大ヒットを飛ばし、いったんは建て直しに成功したにみえた新東宝だが、配給網の弱さからすぐにジリ貧になっていく。二匹目のドジョウを狙って『天皇・皇后と日清戦争』『明治大帝と乃木将軍』と天皇モノを繰り出したものの不発。それでは昭和天皇だ! と起死回生を狙ってこんな企画が通ってしまったのかどうかは知らない。いずれにせよ、この映画が製作された1960年の末に大蔵貢は辞任、翌年に新東宝は倒産する。この映画は、断末魔にある映画会社というものは、苦し紛れにこんな珍作をでっちあげてしまうものだという見本でもある。そのくらい、ヘンな映画なのだ。

どうヘンかというと、映画が始まると、いきなり神武天皇が登場する。そう、記紀神話に初代天皇として登場するが、現在は実在性を疑われているあの神武天皇である。

埴輪にそっくりの古代の兵士たちを率いた神武天皇が、九州を出発して奈良にいたり、豪勢をほしいままにしていたナガスネヒコの軍と激突する。記紀神話の神武東征の再現だが、この合戦シーンは、兵士のエキストラもそれなりに多く、山腹をかけあがる天皇軍と、石を投げ落としたりして抵抗するナガスネヒコ軍の戦いは、それなりのスペクタクルになっているのだが、困ったことに、劣勢になった天皇軍を突然現れた金色の鵄(ヤタガラス)に救われる神話の場面が、そのまま再現される。ダンボールに金紙を貼っただけのみたいなカラスが発する光に、目がくらんだナガスネヒコ軍の兵士がわざとらしくバタバタ倒れる場面は、ギャグというしかないのだが、ともあれ神武天皇畿内を平定し、即位した……というところで、場面は急転直下、日中戦争まっただなかの戦前日本に、なんの説明もなく、ジャンプしてしまうのだ。

さてお話は、なんの説明もなく(くどい)、昭和天皇が臨席する御前会議。神武天皇を演じていたはずの嵐寛寿郎は、やはり、なんの説明もなく(ほんとなんだもん)東条英機に早変わりして、強硬な開戦論を展開する。他の高官たちは、戦争をしたいんだかしたくないんだか、曖昧な表情。
んで、昭和天皇はつーと上でも言ったとおり、姿を現さない。ただ、椅子の背中だけがカメラに映し出される。政府高官がその椅子に向かってなんか喋る。すると、「陛下は、このように申された」とナレーションが入る。すると、政府高官がははっとかしこまってお辞儀をする。
そんなダラダラした場面が幾度か繰り返され、さて日米開戦。ここは、記録フィルムやら新東宝がかつて制作した戦争映画がツギハギされるなか、単調なナレーションで経過が語られ、あっという間に戦争は終わる。それだけじゃ盛り上がらないと思ったのか、これまた唐突に、「日本のいちばん長い日」(68年、岡本喜八監督)で描かれた宮城事件の場面が挿入される。森近衛師団長に青年将校たちが決起を促し、拒まれると拳銃で射殺してしまう。師団長は「貴様らには……陛下の御心がわからんのか……」とうめきながら倒れる。そのあと、青年将校たちのクーデターはあっけなく失敗したことが、例によってナレーションでかたづけられて終わり。もっとも青年将校たちの顔ぶれは、若き日の宇津井健天知茂菅原文太とそれなりに豪華。この面々を主役に終戦時のクーデターを描いた映画を作ればよかったのに、と惜しまれる(「日本のいちばん長い日」の黒沢年男中丸忠雄中谷一郎より迫力あったと思うよ)。
というわけで太平洋戦争は終わり、マッカーサー天皇の歴史的会見場面となるが、やはり、例によって天皇は姿を現さず、ナレーションが語るお言葉にいちいちうなずくマッカーサーが出てくるだけ。
このように、「そのとき歴史は動いた」の再現場面の羅列みたいな展開で、ちっとも盛り上がらぬまま、やがてその再現場面すら出てこなくなる。有名なご巡幸やら皇室ご一家の団欒やら、「皇室アルバム」みたいな記録映像がだらだらと続き、そして皇太子御成婚のフィルムが流され、「かくして、われわれは陛下とともに、平和国家の建設にまい進せねばならぬ」みたいな、とってつけたようなナレーションとともに、映画は終わってしまうのだ。

このへんてこな映画の脚本を書いたのは内田弘三という人で、フィルモグラフィを見ると、「海女の戦慄」「白線秘密地帯」「女王蜂の逆襲」「処女・若妻・未亡人 貞操強盗」「恐喝のテクニック 肉地獄」と楽しそうなラインナップが並んでいる。本当は、史上初の昭和天皇主役映画と意気込んでいたんだろうけれど、予算がねえよ、とか、やはり昭和天皇を出すのはまずいよな、とか、いろんな社内事情を考慮して脚本を変えていった挙句、最後はやけになっちゃったんだろな、と推測する。
金がないのは、首がないのと同じなのは、映画も同じなんだろうね。

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